広瀬はCMIの活動についてはほとんど何も知らないと書いているが、これは全くその通りである。
オウムは指揮命令系統は完全な縦割りであり、隣は何をする人ぞである。
で、Rはどのような立場にあったのかというと、まあ、あんまり書きたくもないんだが、後の省庁制で言うなら厚生省次官の地位にあったということだ。
東信徒庁に人事異動になってからは、サクラーと仲が悪かったので出世出来ずにいた。
サクラーの方針は「信徒なんか騙して剥ぎ取ればいいのよ!」
というものであったのだが、Rは「それではだめです。納得してお布施をしてもらわなければいけません。」
などと逆らっていたので、出世できなくて当然である。
この、「騙して剥ぎ取れ」が刈谷さん事件に繋がっていく事になるし、Rが教団を離れる理由の一つにもなっている。
ま、いいか、そんな話は。
で、CMIがサティアンの2階にあったと書かれているが、これは麻原の居住スペースとは別の場所である。
麻原の居住スペースはサティアン正面玄関、つまり、富士山総本部道場入り口の正反対の方向から中に入り、エレベーターなり階段なりで上に上がっていけばいいのだが、CMIはそこからでは辿り着けない。
全く別のところに出入り口がある。
そして、システムもまたサティアンの2階にあったのだが、これもまた単独の区切られたスペースにあった。