サンジャヤ本 ボツリヌス・トキシン編11 | 法友(とも)へ

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広瀬はCMIの活動についてはほとんど何も知らないと書いているが、これは全くその通りである。

 

オウムは指揮命令系統は完全な縦割りであり、隣は何をする人ぞである。

 

で、Rはどのような立場にあったのかというと、まあ、あんまり書きたくもないんだが、後の省庁制で言うなら厚生省次官の地位にあったということだ。

 

東信徒庁に人事異動になってからは、サクラーと仲が悪かったので出世出来ずにいた。

 

サクラーの方針は「信徒なんか騙して剥ぎ取ればいいのよ!」

 

というものであったのだが、Rは「それではだめです。納得してお布施をしてもらわなければいけません。」

 

などと逆らっていたので、出世できなくて当然である。

 

この、「騙して剥ぎ取れ」が刈谷さん事件に繋がっていく事になるし、Rが教団を離れる理由の一つにもなっている。

 

ま、いいか、そんな話は。

 

 

で、CMIがサティアンの2階にあったと書かれているが、これは麻原の居住スペースとは別の場所である。

 

麻原の居住スペースはサティアン正面玄関、つまり、富士山総本部道場入り口の正反対の方向から中に入り、エレベーターなり階段なりで上に上がっていけばいいのだが、CMIはそこからでは辿り着けない。

 

全く別のところに出入り口がある。

 

そして、システムもまたサティアンの2階にあったのだが、これもまた単独の区切られたスペースにあった。