サンジャヤ本 ボツリヌス・トキシン編② | 法友(とも)へ

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まあ、こんな事を書くのも何だけど、広瀬の教団内における経歴は輝かしい。

 

麻原から直接指示を受けて、ボツリヌスプラント、ホスゲンプラント、炭疽菌噴霧器、ウラン探索他に関与している。

 

しかし、広瀬が所属していたのはCSIであり、BC兵器の開発には関与していない。

 

で、この広瀬が関与していない部分に関与しているのが、幸か不幸か元R師である。

 

考えてみれば、あのとき一緒にワークに励んでいた連中はみんな死んでしまった。

 

村井、遠藤、広瀬、中川、そして麻原、もうだれもこの世にはいない。

 

 

オウムは途中からヴァジラヤーナに方向転換したと主張する人もいるが、広瀬の主張は初めからヴァジラヤーナであったとするものである。

 

これには僕も同意見である。

 

ただ不思議なのは、その間に空白期間とでもいうべきものがある。

 

91年から92年までの2年間は、ひたすら支部活動を行っていた時期である。

 

細かく見ていくと、最長でおそらく90年末から93年初めまでになるが、この間は教団を拡大させ人、金、物を集めるだけで表立っての破壊活動は何もない。

 

 

何故そうなったのかは麻原にしか分からないと思うが、推測するならBC兵器の完成の目処が立つまでにそれだけの時間を要したということなのだろうと思う。