サンジャヤ本 ボツリヌス・トキシン編 | 法友(とも)へ

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P211からP242までの32ページにもおよぶ実に事細かな資料。

 

まあ、僕も株式会社オウムでいろんな業者に電話しては色々と注文してはいる。

 

が、その詳細については、正直なところ何も覚えていないと言っていい。

 

セルロース分解酵素のメーカーも商品名も、ベルトヒーターの出力も型番も覚えてはいない。

 

ステッピングモーターって何だったっけかな、という有様だ。

 

それと比べて広瀬の記憶力は信じがたい。

 

よくもまあ、こんなに正確に覚えていられるものだなと思って感心する。

 

頭のいい人間って、ほんと凄いね。

 

 

この資料はダンジグの求めに応じて書かれたものだということだが、それにしては矛盾しているように思う。

 

2010年9月ごろに書かれたらしいのだが、その後にダンジグが中心となってまとめられネットに公表されたレポートの内容が必ずしも一致していない。

 

前にこのブログにも書いたが、ダンジグのレポートではボツリヌスプラントにおいて培養液が濃縮された形跡がないと書かれていたので、村井がフィルターを詰まらせた事を知らないなんてアホじゃないのかと思っていたのだ。

 

ダンジグは死刑囚何人かと面会しているが、遠藤は何も話さないので基本的に中川の証言を中心に話を聞いて、当時は単なる遠藤の助手に過ぎずプラントや培養には一切関与していない中川の証言だけでそのような結論になったのだとばかり思っていた。

 

しかし、広瀬の資料には、ちゃんとフィルターの事が書いてある。

 

 

これは一体どういう事なのだろうか?

 

広瀬がこの資料を書いたのが2010年、ダンジグがレポートをまとめたのが記憶がちょっと曖昧だが2014年頃。

 

明らかに矛盾している。

 

いつも思うことなんだけど、オウム本を出す出版社って事実確認をしないのだろうか?

 

 

ま、こうやって文章の形で残されて、歴史が作られていくんだろうなあ。

 

これはオウム関係のいくつかのマニュアルなどの文章もまた同じ。

 

そこに書かれている内容はかなりの部分が事実と異なっている。

 

世の中全てがそうなのだろうけど、正しい歴史など誰も知らないし確かめようもない。

 

まさに、愚者は歴史から学ぶだ。(笑)