サマディには動きがなく、全てが止まっている。
サマディから出る時に、今度は全てが動き出す。
従って、自分がどのくらいサマディに入っていたのかが自分では分からない。
ただ、サマディから出て世界を認識するようになった段階で、自分の呼吸が止まったままであり、しかも、全く苦しくないことに気付くのだ。
呼吸停止は10分間なのか?20分なのか?
あるいはもっと長いのか?
全てが動き出すと世界が想像され、自分が誕生するのを知覚する。
まさに12縁起の通りである。
仏典を読んで六処がどうの触がどうのなどと古臭い外国語を語るよりも、感覚が無ければこの世界は存在しないという現代の日本語による表現の方がはるかに分かりやすい。
そして、激しい修行によって自分で体験するのが、一切皆空・真我独存を理解する早道である。
面白いのは、意識の中で答えの方が先に情報としてやってくる事である。(笑)
人間は、何々がこれこれだからどうしようかと悩んで、それで自分で答えを見つけていると思い込んでしまっているが、実際には答えが先にあってそれに合わせて悩むという行動を選択している。
サマディによって、正しくはサマディから出る時にという事であるが、この意識の働きを如実に認識し理解するという体験をする。
ただし、死後気絶がなければ、という話ではあるが。(笑)