サヴィカルパサマディ。
3種類あるサマディのうちの最初のサマディ。
そしてそれが、3種類ある解脱のうちの最初の解脱。
このサマディにおいては、麻原が言ったように動きはない。
なぜなら、動きを知覚する主体、すなわちそのための感覚器官がないからである。
これもまた麻原が言ったように、感覚が無ければこの世界は存在しない。
それを説明しろと言われても、そこには言葉がない。
あえて言うなら、
どこまでも、どこまでも、どこまでも。
そんな感じだ。
このブログに何度も書いてきたが、サマディすなわちコーザルに到達するとそこには光など見えない。
光そのものは見えないし、光を見るための感覚器官が存在しない。
光が現れ、その光を知覚するための感覚器官が現れるのはアストラルからである。
ただのデータだけの世界であるコーザルには、動きもなければ時間もない。
時間がないがゆえに、それは永遠なのだ。
その何もない世界から次に光が現れる。
最初に現れるのが純粋なサットヴァの光である。
面白い事に、コーザルにはサットヴァさえも存在していない。(笑)
完全なる透明さは真っ暗闇であり、そこにほんのわずかな汚れ、これがすなわちサットヴァなのだが、それが混ざる事で透明な光が現れる。
その汚れがどんどん増えていく事で、次第に白銀の光、白い光と変化していく。
これらは全て、サマディから戻るときに経験するのであり、サマディ自体は何もないとしか言いようがない。