精神世界において、言葉では表現できないと言われることが多い。
これは全くその通りだ。
解脱とは、肉体に起こることでも心に起こることでもない。
ましては脳内現象などでは到底有り得ない。
体験している間は解脱ではない。
これは少し考えればすぐに分かる事である。
体験しているということは、その体験の主体が存在している。
その主体というのは個人という意味ではない。
個人に付随する肉体や感覚や心という個別のものの事である。
動いているのは肉体であり、体験しているのは感覚であり、感じているのは心である。
そして、肉体も感覚も心も自分ではない。
それらは自分の肉体、自分の感覚、自分の心という、自分とは別のものである。
面白い事に、自分のスマホや自分の車、自分の部屋を自分だという人はいないと思うが、これが自分の肉体や自分の感覚、自分の心になると、途端にそれは自分だと言い始めるのだ。
まあ、それらが自分ではないということを知っているのは修行者だけなのだが。(笑)