オウムはなぜ消滅しないのか10 | 法友(とも)へ

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沖ヨガの三島の本部道場と、オウムの富士山総本部道場はかなり似ていると言ってよかった。

 

この弁護士さんは仏教にしか目が向いていなかったために、オウム以前に出家制度を取り入れたヨーガ団体があることを見落としていた。

 

やはり、知識の絶対量が完全に不足していると言わざるを得ない。

 

 

三島の道場は1階に受付があり、右奥の角に調理場、その隣が風呂場、その手前のスペースで行法を行ったり、折りたたみ式の長テーブルを出してきて食事をしたりした。

 

その光景は、直接床に座り込む方式で、オウムの食堂と全く同じだった。

 

2階の右奥の檀上が沖正弘が講話を行う場所であり、中央の広いスペースがメインの修行場であり、夜はそこで参加者が寝るスペースだった。

 

左の奥には2段ベッドがあり、そこでスタッフたちが寝ていた。

 

 

かつて、世田谷の東京本部の2階には奥に2段ベッドがあり、スタッフだけでなく深夜セミナー終了後に信徒も利用することが出来た。

 

初めてそれを見たとき、沖ヨガの三島道場を思い出したものだった。

 

 

このように、何から何まで沖ヨガとオウムは似かよっているのだが、それともうひとつ似ているものがあった。

 

それがシャヴァアーサナからの起き方である。

 

教団末期には、なぜか別のやり方に変わってしまったが、初期のころの起き方は沖ヨガとまったく同じだったのだ。

 

 

あ、そうだ、まだある。

 

それが、沖正弘が行う、個人指導や相談である。

 

これは、オウムで言うところのシークレットヨーガである。

 

 

麻原は沖ヨガについては特に触れてはいないが、どこかから情報を手に入れてオウムのシステムに組み入れたのだと思う。

 

いわゆるパクリというやつである。(笑)

 

 

まあ、沖ヨガだけでなく、ダンテスダイジや虹の階梯など、自分からパクったなどと言うはずもなく、麻原が沖ヨガについて触れていないことに特に不思議はない。