中川の手記11 | 法友(とも)へ

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1995年1月、アンソニー・トゥーの協力により、警察は上九の教団施設周辺から、サリン関連物質であるメチルホスホン酸を検出する。

メチルホスホン酸はそれ以上は分解されにくく、しかも自然界には存在しない。

従って、この時点で、オウムがサリンを製造している事が確定的となった。

 

 

新聞でこの記事を見た時は、まさに衝撃だった。

 

サリンなどというものが、本当に日本に存在した。

 

まさか、そんな。という思いだった。

 

オウムがサリンを作っていたという事なのか?

 

しかし、これは、自分たちが毒ガス攻撃を受けているというオウムの主張と矛盾しない。

 

様々な考えを巡らせながら、最悪の事態を想定し、恐ろしく気分が落ち込んでしまった。

 

 

サマナたちは、おそらくこの新聞記事を見ることは出来なかったのだろうと思う。

 

事件発覚後に、サマナたちを襲った全てが崩壊するような衝撃は、想像に難くない。

 

しかし、外にいてこの新聞記事を目にしていた僕にとっては、地下鉄サリン事件発生の段階で、何が起こっているのかを理解することはさほど難しくはなかった。