中川の手記10 | 法友(とも)へ

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1993年末頃からプラント設備のうち、設計が終わった個所の部材が製造され始めた。

1994年春頃、サリンプラントの工事が一気に本格化して、反応容器や蒸留塔が設置され始めた。

プラントは土谷棟の数百倍から数千倍の規模の物質を扱うため、中川はスケールアップの速度が速すぎて失敗するとの旨を村井に話した。

しかし、村井は「できる。」と断言してプラントの建設を進めた。

このためサリンプラントは本質的な問題を抱え、建造、試運転、改造の繰り返しとなり、結果的にサリンを完成させることが出来なかった。

 

 

いかにもオウムらしい、そして村井らしい話だ。

 

なんでもかんでも、全部、自分たちで作ろうとする。

 

既製品を買った方が圧倒的に金も時間も節約できるのに、絶対に自分たちで作る。(笑)

 

常識的にはアホの集団に見えるだろうけれど、それは全て麻原が弟子たちにやらせている事なのだ。

 

 

思い出すと、実に懐かしい。

 

ボツリヌスプラントの時も、村井は20リットルから一気に40トンに増やして失敗した。

 

サリンプラントにおいても、同じ事をやって失敗している。

 

まるでデジャブーだが、それは世の中にとって幸せな事だったに違いない。

 

プラントの規模を10分の1にしていたら、間違いなく恐ろしいほどの量のサリンが完成していたはずだから。

 

 

中川はCSIから見れば部外者だから知らないのだろうけれど、村井のムチャぶりはいつもの事だ。

 

そして、ヴァジラヤーナの実践において、「出来ません。」はない。

 

結果が全ての世界において、村井が「できる。」と答えたのは、それ以外の答えがないからに他ならない。