塩基の代わりに前駆体を用いてサリンを製造する。
そんな方法を考え付いたのは、世界広しといえどもオウムだけなのではないかという気がする。
そう言えば、オウムのワークでは、マニュアルにない使い方をすることが多かったなあ。
定跡も、常識も外れた集団。
それがオウムだった。
松本サリン事件では、このやり方で合成されたサリンのうち12Lが使われた。
オウムが目標とした70トンのサリンの製造は、松本サリン事件を6,000回ほど起こせるだけの量がある。
どう考えても、初めから失敗するつもりにしか見えない。(笑)
1993年8月以降、第7サティアン内のサリンプラントの建設も進行する。
当初、第7サティアンでのサリン製造は4段階の予定だったが、実際には5段階となった。
4段階の製造における出発物質の亜リン酸トリメチルを、大量に購入するのが不可能と判明したからである。
そこで土谷は、三塩化リンとメタノールを反応させて、亜リン酸トリメチルを合成するプロセスを新たに追加した。
ここで発生する酸を中和するために、ジエチルアニリンが使われた。
土谷は分子軌道計算ソフトを使って、ジエチルアニリンを選んだ。
ここも突っ込みどころ満載だ。
オウム事件を考えるにあたって、サリンの製造方法を理解するだけでも大変なのに、その方法が何通りもあり時間の経過とともに変遷しているところに大きな壁があるといえる。
今まではそうだったのだが、今回の中川の手記によって、全ての製造方法と変遷の理由が明らかとなった。
ほんと、頭のいい人間の書く文章は分かりやすくて助かる。