あれから、毎日新聞を見ているのだが、
あ、これだと誤解を招くな。(笑)
「毎日新聞」を見ているのではなく、「エブリデイ」新聞を見ている。
というか、前から新聞は毎日見ているんだけどね。
で、毎日見ているのだが、今のところ「一切皆空」が証明されたというニュースは載っていない。(笑)
ここまで書いただけで、普通の人なら「一切皆空は証明されているのですか?」という質問が的外れであることが分かるだろう。
それが証明されているのであれば、世の中の人が知るところとなるだろうし、世の中の人が知らないのであれば、おそらくそれは証明されていないということになる。
証明されているかどうかという問いは、社会常識としてという問いであり、僕個人へ向けてのものではない。
本来、僕個人へのものではない問いを、僕個人へ向けている時点で、既に支離滅裂である。
この問いを向けるのであれば、一切皆空を研究している研究者か、あるいはその研究の情報を扱っているメディアへ質問すべきである。
僕個人へ質問するのであれば、例えば「あなたは、一切皆空が正しい事を証明できますか?」
というものになるだろう。
個人への質問であるなら、「あなたは」という主語が必要になる。
しかし、これでもまだ、この文章はおかしいのだ。
それは「証明」という部分である。
理論的に正しいというだけでは、証明されたことにならないからだ。
相対性理論も、ヒッグスも、理論的に正しいとされながらも、証明されるまでに随分と時間がかかっている。
証明とは、理論的に正しいだけではなく、実験・観察によって、その事実が確認されなければならない。
ということは、この「あなたは、一切皆空が正しい事を証明できますか?」という質問は、僕が膨大な金と時間を使って、実験・観察を行っているという事が前提となっている。
僕が実験・観察を行っていないのであれば、この質問は支離滅裂であるということになる。
もちろん僕には、そんな金も暇もない。(笑)
では、この場合の、論点がずれていない、正しい質問とは何だろうか?