なぜ人を殺してはいけないのか?の答えはリチャードバックにまかせたので、続いて生起と究境については釈迦牟尼というかダンテスダイジにまかせよう。(笑)
前にも紹介したことがある、ダンテスダイジの肉声である。
この中の、01シャカのさとり。
釈迦牟尼は瞑想の達人というよりも、完全な天才である。
意識的にたやすく変性意識状態に入り、自由に様々な段階の意識状態にとどまる事が出来る。
この能力があったために、出家してすぐにふたりの仙人をしのぐ瞑想を達成することが出来たのだ。
しかし、釈迦牟尼はそこで気付く。
瞑想だけでは解脱できない事に。
そこから苦行が始まるのだが、このときの釈迦牟尼を表わした像がまさにヨーギー。
ウッディーアナバンダはこうやるんだという感じで、かっこ良すぎる。(笑)
日本の宗教学者は釈迦牟尼が苦行を否定したとか、アホなことを言っているけど、それを言うなら釈迦牟尼は瞑想だけの修行を否定したという方が正しい。
釈迦牟尼が否定したのは意味のない苦行であり、苦行そのものは否定していない。
で、そんな瞑想の天才の釈迦牟尼でも、なかなか解脱出来ない。
なぜなら、それらの瞑想状態は、全て脳内現象なのだから。(笑)
あの天才釈迦牟尼でさえ苦しんだ。
解脱出来ずに苦しんだ。
そこから釈迦牟尼はどうしたのか?
それではダンテスダイジの語りで、どうやって生起から究境へと移行するのかをお楽しみください。