では、グルヨーガマイトレーヤ、大乗のツァンダリー、バルドーイニシエーションという、在家のための三つのイニシエーションがどんなものなのかを見てみよう。
バルドーイニシエーションと聞くとバルドーの導きの事しか知らない素人さんもいるとは思うが、とりあえず相手にしないでおこう。
バルドーの導きはイニシエーションでも何でもない。
ただの遊びなのだから。
まず最初に取り上げるのは大乗のツァンダリー。
正直言って、これはどうでもいい。
チベット密教の要素を取り入れた瞑想法だが、オウムの修行体系の根幹をなすクンダリニーヨーガとは全く系統が違う。
何の役にも立たないと言ってもいいぐらいだが、お布施を集める役には立ったし、経典の翻訳も無駄ではなかったと思わせる意味もある。
なので、大乗のツァンダリーはやらなくていい。
まあ、やりたければやってもいいのだが、おそらくだが人それぞれではあっても、自由にできる時間は限られていると思う。
だから、同じやるなら効果の高い行法に集中すべきである。
もっとも、何を目指しているのかは人それぞれに違う。
解脱を目指していないのであれば、のんびり遊んでいればいいと思う。
それと、オウムにおけるチベット密教の位置づけというか、扱いというか、評価というかについても書いておこう。
これは話にも何もならない。
オウムでは、というか麻原は、完全にチベット密教を見下している。
麻原の「チベット密教は間違いを犯した。そして、堕落した。」
この言葉が表しているように、チベット密教を評価すべき部分は何もない。
ただ、利用しただけである。
チベット密教の考え方は、基本的に自と他の区別をするところからスタートしている。
これでは遠回りになってしまう。
ダライラマの側近とか言われている連中も酷いものだ。
こんなことを書くと、またなんだかんだ言われそうだが、オウムを批判し攻撃している段階で、すでにその宗教は偽物と言っていい。
オウムは殺人集団である。
これは事実である。
だからと言って、本物の宗教は、本物の宗教家はそれを批判しない。
なぜなら、すべてはカルマだからである。
ということであれば、オウムを批判しないダライラマは本物の可能性がある。
ということになる。
チベット密教は偽物でも、ダライラマは本物。
そういう結論だ。