解説を少し③ | 法友(とも)へ

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では、グルヨーガマイトレーヤ、大乗のツァンダリー、バルドーイニシエーションという、在家のための三つのイニシエーションがどんなものなのかを見てみよう。


バルドーイニシエーションと聞くとバルドーの導きの事しか知らない素人さんもいるとは思うが、とりあえず相手にしないでおこう。


バルドーの導きはイニシエーションでも何でもない。


ただの遊びなのだから。



まず最初に取り上げるのは大乗のツァンダリー。


正直言って、これはどうでもいい。


チベット密教の要素を取り入れた瞑想法だが、オウムの修行体系の根幹をなすクンダリニーヨーガとは全く系統が違う。


何の役にも立たないと言ってもいいぐらいだが、お布施を集める役には立ったし、経典の翻訳も無駄ではなかったと思わせる意味もある。



なので、大乗のツァンダリーはやらなくていい。


まあ、やりたければやってもいいのだが、おそらくだが人それぞれではあっても、自由にできる時間は限られていると思う。


だから、同じやるなら効果の高い行法に集中すべきである。



もっとも、何を目指しているのかは人それぞれに違う。


解脱を目指していないのであれば、のんびり遊んでいればいいと思う。



それと、オウムにおけるチベット密教の位置づけというか、扱いというか、評価というかについても書いておこう。


これは話にも何もならない。


オウムでは、というか麻原は、完全にチベット密教を見下している。



麻原の「チベット密教は間違いを犯した。そして、堕落した。」


この言葉が表しているように、チベット密教を評価すべき部分は何もない。


ただ、利用しただけである。



チベット密教の考え方は、基本的に自と他の区別をするところからスタートしている。


これでは遠回りになってしまう。



ダライラマの側近とか言われている連中も酷いものだ。


こんなことを書くと、またなんだかんだ言われそうだが、オウムを批判し攻撃している段階で、すでにその宗教は偽物と言っていい。



オウムは殺人集団である。


これは事実である。


だからと言って、本物の宗教は、本物の宗教家はそれを批判しない。


なぜなら、すべてはカルマだからである。



ということであれば、オウムを批判しないダライラマは本物の可能性がある。


ということになる。


チベット密教は偽物でも、ダライラマは本物。


そういう結論だ。