さーとしーの青春が映画化されるらしい。(笑)
まあ、あの天才が病気でなどなかったら、将棋界は今とはかなり違ったものになっていたかもしれない。
しかし、そうでなかった為に、羽生一人が随分と目立つようになってしまった。
さーとしーが健康な体で生まれて来ていたなら、羽生の七冠制覇はなかったかもしれない。
そもそも、羽生の七冠制覇は将棋界の7不思議と言ってもいい。
他の棋士たちとの決定的な差というほどのものはなく、羽生が7冠であった期間は半年もなく、その後は他の棋士たちにタイトルを奪われ1冠にまでなってしまっているのだ。
そう言えば、昔職場で上司から、「史上初の7冠なんだから、歴史上羽生が一番強いということだよな。」
と言われて、「違いますよ。」と答えたことがあった。(笑)
かつて大山名人は五冠制覇を成し遂げたことがあった。
しかし、七冠制覇は達成していない。
ではなぜ、大山名人は七冠制覇が出来なかったのだろうか?
その理由は簡単である。
大山名人の時代には、タイトルが五つしかなかったのだ。
五冠しかないのだから、七冠制覇は物理的に、絶対に不可能なのだ。
この場合、強者に対する正しい評価は、全冠制覇という表現である。
これなら十分に意味が通る。
三冠時代の升田。
四冠時代の大山。
同じく、五冠時代の大山。
六冠時代の中原は五冠止まり。
人は本当にたやすく騙されてしまうものなのだなと思う。
それともう一つ。
羽生が次々に記録を塗り替えているという話。
よく史上最多という表現がされる。
これも当たり前の話だ。
升田、大山の時代は戦争があったのだ。
その間、当然の事だが将棋は指せない。
羽生のタイトル獲得数がいくつかなどというのは、あくまでも同世代の棋士たちとの比較でしかない。
しかも、最大のライバルであるさーとしーが重度の病気で、結局死んでしまう。
羽生の運の強さには驚くばかりである。
さて、その羽生は叡王戦でどんな戦いを見せてくれるのだろうか?