では、シャクティーパットに関する三つの件について、記憶を辿ってみたい。
①神仙の会の頃に集中セミナーで麻原が倒れてシャクティーパットが出来なくなり、弟子たちが数人で代わりを務めようとした。
これに関しては何らかの形で文書になっていたはずだ。
しかも、それを受けた側と行った側の両方から。
その両方を読んだ記憶があるのだが、それが何だったのかは記憶が定かではない。
その両方が体験談という形だったと思うが、それが書籍であったのか、それともマハーヤーナが刊行される前の白黒の印刷物であったのかはもはや分からない。
そして、麻原もまた説法でこの件に触れていた。
集中セミナーの最終日の説法は、たしかこんな感じの始まり方だったと思う。
「今回のセミナーでは、最初から最後まで、皆さんに迷惑のかけ通しでした。」
麻原はこう言って、セミナーの参加者に謝罪したはずだ。
で、この時にシャクティーパットのやり過ぎで麻原が倒れたのだが、なぜかついでに中村 昇もインフルエンザか何かで倒れた。
その時世話をした石井や飯田に対して、麻原は「私の事はいいから、ムクタナンダの面倒を見てあげなさい。」と言ったということだった。
ついでに書いておくと、当時のホーリーネームは成就者に与えられるというものではなかった。
ラクシュミーやムクタナンダ、シャンティーといったホーリーネームは、五体投地(立位礼拝ではなく五体投地)10万回を達成した弟子に与えられたものである。