マハラジは言う。
「グルは私に、私が真我である事を告げたのだ。」
「私はそれを信じた。」
わずか15歳で解脱したマハルシと違って、マハラジは満足な教育も受けずに育ち、雑貨屋を営み家族を養うために毎日働いていた。
しかし、それでも、心の奥底から湧き上がる、解脱に対する欲求を抑えることは出来なかった。
そして、グルを訪ね、自分は解脱したいのですと打ち明けた。
その答が、真我独存だったのだ。
たったこれだけ。
このただ一つの事だけをマハラジは実践した。
麻原はかつてこう言っていた。
「グルに、そこに立っていろと言われて、そのまま立ち続けることが出来れば、それだけで解脱する。」
マハラジはグルを信じ、実践を続けた。
仕事をしなければならないため、修行だけのまとまった時間を取ることは出来ない。
しかし、1日24時間、仕事をしながらも常にグルの言葉を信じ続けた。
こんな修行を続けられる人間が、世の中に一体どれほどいるだろうか?
やってみれば分かる。
集中などわずかの時間しか続かない。
1分か?2分か?3分か?
おそらく10分もしないうちに雑念が湧いてくるだろう。
それゆえ、ヨーガスートラにおいては、集中のための前段階の修行を事細かに解説しているのだ。
私は真我である。
ヨーガスートラの最終段階。
真我に対するサマディ。
マハラジは3年間、この実践を続け、解脱した。
そう言えば、2600年前にも、グルである釈迦牟尼の教えをひとつだけ実践し続けて解脱した男がいたな。