中川が面会によって講演会の情報を得ることは、不可能だということが分かった。
そして、拘置所内は私語厳禁であり、誰かから情報を得ることもできない。
したがって、人を介しての情報の入手は不可能であり、中川は人を介さずに情報を入手したことになる。
人を介さずに情報を入手する方法として、真っ先に思い浮かぶのが新聞である。
しかし、ポイントは、講演会の記事が載ったのが京都新聞である、という事である。
まさか東京拘置所が、京都新聞を毎日空輸しているということはあるまい。
宅急便で送れば1日遅れで見ることは出来るが、東京で他の新聞が手に入らないわけではない。
わざわざ京都新聞を見なくても、東京にある新聞を購読すればいいだけの事である。
となると、人を介さずに情報を入手する方法は、残るはネットだけである。
死刑囚がネットをやっているなどという事は、最もありそうにないように思える。
しかし、中川にとって不可能である方法を除外していくと、残る手段はネットしか無くなってしまうのだ。
唯一、ネットだけが、中川にとって不可能であることが証明されていない。
アンソニー トゥーは、中川がネットをやっていると断言したが、この発言はそのことを知っているという可能性と、そうであると推測したという可能性のふたつがある。
普通人の知能を持つ日本人であるならば、論理的に考えれば中川が講演会の情報を得る方法はネットしか無いという結論に至らざるを得ない。
アンソニー トゥーは科学者であるから当然論理的に思考する。
それは、「中川はネットで京都新聞を見たんだと思う。」
という発言にも表れている。
アンソニー トゥーは、僕がブログをやっていることを知らない。
したがって、ネットで得られる講演会の情報は、京都新聞のネット版しかないということになる。