霊というものについて誤解があるのだろうと思う。
霊というのは肉体がない、バルドーに入る前の人間のことである。
したがって、肉体がないだけで、それ以外は普通の人間との違いは無い。
ように思える。
よく霊能者が霊だの何だのと言っているのは念の事である。
この念というのは単なるエネルギーの事であり、それは生きている人間と死んでいる人間と両方に存在する。
とは言っても、念じたいは生きている間にしか形成されないのだが。
霊そのものは、別に生きている人間と違いは無いので、何の問題も無い。
ただ、その移動方法はテレポーテーションのようなものではないかと思う。
なぜなら、突然現れて、そして突然去っていくからだ。
しかも、あっさりと壁を通り抜けたりもする。
そういうことだとどこかで聞いたような話だと思う人もいるだろうけれど、これはまさにオウムでいうところの変化身が持つ能力と同じなのである。
あともうひとつ。
動物界における殺生について。
結論から先に言ってしまうと、これは悪業にはならない。
まあ、この辺の話は説法にもいくつか出てくるのだが。
なぜなら、それは生きていくために必要な事であり、許容範囲として認められているからである。
だから、一度動物界へと転生すると、何度も繰り返し動物界へと転生すると言われているのである。
これはつまり、殺生が地獄のカルマになっていないことを意味する。
動物界のカルマとは無智であり、その無智により動物の生を繰り返すのである。
つまり、アシナガバチが蛾の幼虫を殺生しても悪業にはならない。
悪業にはならないので、人間がアシナガバチに蛾の幼虫を供養しても同じく悪業にはならない。
人間にとって悪業になるのは、蛾の幼虫をアシナガバチに供養せず、自分で殺した場合である。