コメントにあったので、死の恐怖という事について解説。
これはコメントで書いた通りで、死の恐怖というものは存在していない。
いわゆる疑心暗鬼というやつで、暗闇はあってもそこには鬼はいない。
では一体、鬼を作り出しているのは何なのか?
ということになる。
これは心の働きである。
心の働きは各個人で違うために、鬼がいると思う人もいれば、そんなことを全く気にしない人もいる。
そして、心の働きというのは面白いもので、常にそうだという訳ではない。
現象に対して、心が動いた時にだけ、心の中に、本来いないはずの鬼が生ずる。
これを苦しみの生起と言う。
したがって、この心の働きを何とかできれば、苦しみはなくなるという事になる。
そのための、心の働きを止滅させる技法の集大成をヨーガと呼ぶ。
つまり、修行とは、心の働きを死滅させるための努力、ということになる。
この修行には、ふたつのアプローチの仕方がある。
ひとつはエネルギーによって解決する方法。
もうひとつが論理的に解決する方法である。
エネルギーによって解決する方法はひたすら行を行う。
どこまでやったら終わりというゴールは設定されていない。
しいて言うならば、爆発が起きるまでである。
オウムの修行においては、ヴァヤヴィヤなら1,000時間、ツァンダリーなら10万回という目安があるが、これは気にしなくていい。
死ぬまで修行を続けるという心構えがあれば、ヴァヤヴィヤなら500時間、ツアンダリーなら3万回あたりでとりあえず最初の爆発が起こるだろう。
論理的に解決する方法はこれらとは全く違う。
これはいわゆる四念処の瞑想と呼ばれるもので、ひたすらその原因を掘り下げていく。
井戸掘りと同じで、水が出るまで掘り続ける必要がある。
どんなに深く掘っても、水が出なければ全ては無駄に終わる。
そして、この深く掘る作業には、エゴが全力で抵抗をする。
答えに近づけば近づくほど、死ぬほどの苦しみを味わうことになる。
まあ、このふたつのアプローチは、どっちにしても大変なことであるので、真剣に取り組もうとするのは偉大な修行者だけということになる。