カーリーのブログにも結構ファンが付いているようだ。
その特性上ちょいと控えめだが、それでも父親譲りの魅力の持ち主ということなのだろう。
で、その本体はもっと魅力的なのである。
世間の皆様は、なんであんなのにマインドコントロールされたのかと不思議がるのだが、人は魅力のあるものに引き寄せられるのだから仕方がない。
卵供養の説法にしてもしかりである。
文字にしてしまうとほとんど伝わらなくなってしまうが、リアルタイムにその場で音を聞くと、麻原の抑揚のある話し方と組み合わさってとても面白いのだ。
そこが上祐のつまらない話との決定的な差である。(笑)
たとえばこんな感じで始まる。
「ちゅうごくには、よっつのゆうきがある。」
「すなわち、なんゆうき、ほくゆうき、とうゆうき、さいゆうきである。」
これは、戒、定、慧という解脱するために必要な3つの条件と、それを得た結果についての説法なのだが、出だしですでに聴衆の心を掴んでしまっている。
台本も何もなく、すらすらとよどみなく言葉が溢れてくる。
そのため、人々は小説やアニメの様に、夢中になって聞いてしまうのだ。