プルシャには様々な種類がある。
少なくとも10数種類はあったはずだが、正確な数は正直分からない。
最初に登場したのは大型のオウム字のもの。
この時は麻原も一緒になって粘土をこねていたが、悲しいかな素人の仕事であり、焼くとねじれが生じてしまっていた。
この最初のものだけが、周りの花弁の部分が笹の葉型にとがっている。
同時期に存在した、プルシャ型玉手箱と同じデザインである。
先がとがっているために、どうしてもそこが欠けやすい。
そのためこれ以降のプルシャは、小型も含めて花弁の部分が丸みを帯びたものが作られるようになる。
最初に登場したものは2種類あった。
本体は実は1種類しかないのだが、分類上はとりあえず2種類である。
ひとつは解脱特別修法、そしてもうひとつは永代幸福祈願である。
解脱特別修法は背面には何もなく、ヒヒイロカネ袋に入れて使う。
アナハタチャクラの位置である。
永代幸福祈願は背面に安全ピンが接着剤で止めてある。
マニプーラチャクラの位置である。
当時はまだ、マニプーラチャクラ用の紐の長いヒヒイロカネ袋は作られておらず、安全ピンで留めるという方法がとられていた。
いつもの様にオウムのやっていることは大抵いい加減である。
安全ピンで留めるという安易な考えがいくつかの問題を起こすことになる。
ひとつめは衣類に常に安全ピンで留めたままになっているために、その部分に穴が開いてしまうという事がある。
もうひとつが安全ピンとプルシャとの接合部分の接着剤が外れてしまうということである。
当たり前のことなのだが、金属とセラミックという材質の違うものを同じように強力に接着することは難しい。
したがって、外れてしまったプルシャは下に落ちるのである。
これがまた、実によく落ちる。(笑)
プルシャを落とすためにこんなやり方を考えたのかと思うほどである。
接着剤をより強力なものに変えるなどの工夫はしたものの大した効果は無く、段々と安全ピンは使わずにヒヒイロカネ袋に入れて使用するという方向へ変わっていくことになる。