とある日曜日。
いつもの様に、午後からボーディーサットヴァの会へ出かけた。
道場の2階で待っていると、スタッフのTさん(DV師)がいつもの様にいい声で説明を始めた。
「今日のバクティはいつもと違いまして、技術者を募集します。」
と言う。
どういうことかいな?
と思ったら、何のことは無い、ハンダ付けが出来る人ということだった。
というわけで、それなりに腕に覚えのある男数名で、玉川学園前まで出かけることになった。
当時、玉川学園前には、男性スタッフたちが居住している一軒家があったのである。
中村の指示どおりに動いたおかげで、待ち合わせ場所が分からずに時間がかかってしまったが、そこはそれ信徒達が臨機応変に動いたおかげで無事にスタッフと合流。
みんなで一緒にテクテクと住宅街を歩いていく。
途中で越川とすれ違う。
これからアルバイトに出かけるところだという。
一軒家にはサンガの連中も一緒にいるらしい。
最近、道場で越川の姿を見かけなくなったなと思ったら、知らないうちにサンガの一員になっていた。
この頃の出家の条件は120万以上のお布施。
後にこれが、全財産なら金額はいくらでもいいということになり、条件は緩和される。
が、当時は120万のお布施が出来なければ出家は認められなかった。
出家するには、それに見合う功徳が必要とする考え方である。
なので、スタッフと一緒に共同生活を送ることで、家賃や食費を浮かせて早く出家しようというのがサンガのシステムだった。