麻原が事態を把握した段階で、ようやくこのふざけた状況も終わりを迎えることになる。
まったく幹部たちのアホさ加減には呆れるばかりである。
ということなのだが、この状況を作り上げた犯人は石井とVだと言っていいと思う。
他にも様々な条件が重なってはいる。
世の中で起こっている不思議な事件や事故と同じく、どうしてそんなと思うようなおかしな事が重なってしまっているのだが、主犯はやはり石井とVの二人だと言っていい。
その後に、麻原が目が見えないという事と、幹部たちの無思考状態が重なってしまったのだ。
前にも書いたが、Vは野菜を安く買うために、売れ残りのオウム食では使わない野菜や、腐った果物を引き取っていた。
そして、それだけではなく、同時に護摩供養に使う果物も買って帰っていた。
当然のことなのだが、護摩供養に使う果物はサティアンへ、それ以外のオウム食用の野菜とただで引き取った売れ残りの野菜などは道場から搬入していた。
え~と、ここでサティアンの説明もついでにしておこう。
説明しておかないと、知らない人も大勢いるだろうと思うので。
サティアンとは、元々はサティアン・ビルディングの略称である。
しかも、正しくは英語表記。(笑)
麻原の住居は、千葉県から次々に移り変わっていくのだが、世田谷時代は待機場所としてモデルハウスを安く借りていた建物を使っていた。
ここにはサマナたちも住んでいたので、知っている方も多いだろう。
当時は、世田谷には住居は無く、千葉県からの通いという形だった。
その後、富士山総本部道場が建てられてから、麻原の住居も造られていく事になる。
最初は富士山総本部道場の中の一画。
次がサティアン、その次が第二サティアン、最後が第六サティアンである。
要するに、麻原とその家族は、4回引越しをしていることになる。
サティアンとは本来は真理という意味であり、サハスラーラチャクラに対応するマントラでもある。
その高貴なる名称を、麻原の住居に名付けたということなのだ。
従って、麻原の住居以外は、本当の意味でのサティアン群ではない。
まあ、正しくはサティアンと、その次の第二サティアンまでが、本来の意味でのサティアンと言っていい。
それ以外は、元々は倉庫とか印刷工場とか実験棟とか言われていたものを全部、なんとかサティアンと呼ぶようになったというだけのことだ。
ついでに書いておくと、サティアンと書いた場合は、当然の事であるが一番最初のサティアン・ビルディング、世間では第一サティアンと呼ばれている物の事である。
もちろん、オウム内部では誰も第一サティアンなどとは呼ばない。
単にサティアン、第二、第六などと呼ぶ。
というわけなのだが、そもそも当時はサティアンと言えばひとつしかないのだから、間違えようは無いと思う。