何か前にも書いたような気がするが、まあ、いいか。
タントラヤーナとは煩悩を利用する修行体系である。
幹部たちは、麻原からワークという名の課題を与えられる。
ここで対象になるのはあくまでも幹部だけである。
なぜなら、サマナたちは言われたことを逆らうことも出来ずに、強制的にやらされるだけだからだ。
オウムの教義が複雑で理解しがたいのは、救済する側と救済される側が明確に区分されているにもかかわらず、麻原からの指示や説法においてどちらへ向けてのものなのかが宣言されていないところにある。
この両者への内容はお互いに矛盾しているのだが、オウムの教義と言えるのは、救済する側に向けてのものだけである。
で、そのワークを一生懸命やって、実はそれが自分の煩悩であると気付く。
グルは鏡であるために、グルが自分に与えたワークは自分の煩悩なのである。
それに気付くことで観念の崩壊が起こり、観念に付随する自我も同時に崩壊する。
これがタントラヤーナの修行である。
まあ、今回はそれは置いといてと、
人間の根本的な煩悩といえば、睡眠、食欲、性欲である。
睡眠と食欲を完全に遮断すると死んでしまう。
ところが、性欲は生きていくために全く必要がないのである。
全部遮断してしまっても一向に差支えがない。
しかも、これは相当に強いエネルギーを持っている。
したがって、性欲を修行に使うのは非常に合理的であると言える。
そして、修行に使うためには、そのエネルギーを漏らさないようにしなければならない。
漏らさないという点においては、男も女も同様である。
男は漏らさずにいようと思えば、何年でも漏らさずにいられる。
しかし、女はそうはいかない。
だいたい1ヶ月に1回は漏らしてしまう。
まあ、自然の摂理なのだから仕方がない。
これについて麻原は、「修行法として生理を止めるやり方もあるが、オウムではそれはやらない。」と言っている。
まあ、後は個人的に伝授されているかどうかだ。
んで、男の場合の詳細はどうなのかということである。