コメントがあったのでこれもついでに書いておこう。
かつてオウムには護摩供養と呼ばれるものがあった。
これは皆様ご存知の様に、喉にグルやシヴァ大神を観想して食物を供養するというものである。
ここでの重要なポイントは自分が食べているのではないということである。
まったくオウムのサマナもピンからキリまでいたもので、喉にグルを観想するとその頭の上に自分が食べたものがべちょっと乗っかって気持ちが悪いと言うアホがいた。
こんな奴らは一体何のために出家したのだろうとよく思ったものだ。
まあ、そんな事は内部の人間にしか分からないことではあるが。
あくまでも食べているのは神々である。
自分はただの道具にすぎない。
それが上手くいくと面白いことが起こる。
頭上から白銀光がやってくる。
瞑想の時の様に光に包まれるわけではないが、身体がしびれ快感が走る。
これがオウムのようにエネルギーを主体とした修行体系の特徴である。
これはワークであっても思索であっても同じなのだが、基本的には正解に辿り着くとエネルギーが動き快感を感じる。
その行為が正しいのかどうかは、自分で判断する必要がない。
全てはエネルギーが教えてくれる。