オウムの教義では、カルマと輪廻転生の関係をどんな捉え方をしているのかを述べたいと思う。
が、その前に、バルドーについてもう少し詳しく書いておこう。
普通に考えるなら、来世は三悪趣か人間界である。
意識堕落天に転生するには、人を超えた能力の高さを要求される。
それは、ペットと人間の能力の違いと同じことである。
アメリカ合衆国大統領であれば、そのぐらいの違いが一般人に対してあるかもしれない。(笑)
次に天界であるが、これは自分のエゴを滅してどれだけ世の中のために尽くしたかで決まる。
他にも天界の要素はあるが、これがなければ天界へ転生することは不可能である。
ただひたすら世の中のために尽くす。
マザー・テレサなら多分行けるのだろう。
ということになれば、人間界よりも上の世界に行くことなど到底無理、白い光など見ることも出来ないことが理論的に理解してもらえると思う。
次に青い光についてである。
バルドーというのは基本的に生起の瞑想と同じ。
いわゆる時空を超えるというもので、距離や大きさはなく、時間の流れは一定ではなくしかも同一方向とは限らない。
下位四つの世界の色は、青、緑、黄、赤の順であるが、これらが平等に四つ並んでいるわけではない。
それぞれの光に意識を集中すれば、大きく近くに見えるが、そうでなければ小さく遠くあるいは見えない。
この意識を集中するという心の働きが、カルマと呼ばれるものである。
生きている間に、身・口・意においてなした行為の蓄積が、その魂の心の働きの傾向を決めている。
青い光に集中したくても、他のカルマのほうが強ければ、他の色の光が大きく近くに見える。
ほとんどの人には、赤い光しか見えないというのが現状である。
そしてそこで、そのどうにもならないように見える状況を打開する救世主が現れる。
それがグルである。
とまあ、オウムの教義ではそういうことになっている。