これもグルっぽで出た話なんだけど、ポア出来るのかどうか。
結論を先に言ってしまうと、そんな事は出来ない。(笑)
オウムの教義では、ポアするためにはグルの指導に従って修行する必要がある事になっている。
つまり、事件の犠牲者をポアしてどうのこうのというのは教義と矛盾しており、ただの方便であるということが分かる。
これは考えてみれば当たり前の話である。
何の修行もしていない、オウムとは何の関わりも無い人たちをポア出来るのなら、とっくの昔にシヴァ大神が人類を絶滅させてポアしているはずである。
そうしない理由は実に簡単で、出来ないからやらないということなのだ。
麻原の説法を聞いていると、一定のパターンがあることに気づくだろう。
ポアに関する説法はたくさんあるが、基本パターンはこういうものだ。
麻原はこう言っている、「ここに偉大なグルがいて、苦しんでいる人をポアしたらどうなるか?」
つまりこれは、全て仮定の話である。
自分がポアするとも、ポア出来るとも言っていないのだ。
この、何もいっていない部分を、弟子たちは自分の妄想でつなぎ合わせて、架空のストーリーを作り出し、自分自身をマインドコントロールしているのである。
だから裁判で、「なぜポアすることが正しいと思ったのですか?」
と聞かれても、答えることが出来ないのだ。
なぜなら、そこには麻原がはっきりと断言した部分がないからである。
全てがなんとなく、全てが曖昧で、全てがみんなでこっちの方向へ、そんな感じで進んで行ってしまうのだ。