ヴァジラヤーナ② | 法友(とも)へ

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ヴァジラヤーナは特殊な考え方をする。


まあ、確かにそうなんだけど、それは一般的な宗教を基準にした場合の考え方である。


しかし、宗教というものは職業であり、生活の糧でありするので、本来の修行者としての考え方から外れてしまっている。


だから、ヴァジラヤーナというものは、修行者の視点で見るとそんなに間違っているとは言えないのではないだろうか。



グルっぽでも話題になったことがあったが、グルから弟子への愛というものはどうなのだろうか?


一言で言ってしまうと、ヴァジラヤーナにおいては、グルから弟子への愛というものはない。


ただ、弟子からの一方的な愛と奉仕だけがある。


これをバクティーヨーガと呼ぶ。



この実践において、グルは何も恩恵を受けない。


ただ弟子だけが恩恵を受けることになる。


なぜなら、その時エゴが消滅するからである。


グルに対して何の見返りも求めず、誰からも認められようとは思わず、自分の努力が全く無駄に終わろうとも気にかけない。


何という偉大な実践だろうか。


そして、自分が無駄死にする時になお、ただ一言「お気になさらぬよう。」というだけなのだ。


そんな魂に出会えたならば、ひたすら尊敬するしかないではないか。



麻原は、グルは鏡であると言っていた。


グルに何かを求めても失うだけだ。


弟子がグルに差し出したものだけを、弟子は受け取ることが出来る。


グルをおんぶにだっこに肩車して突き進むのがヴァジラヤーナの実践なのだ。