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四念処というと原始仏教の瞑想というイメージが強いが、元々はヨーガの手法である。



自分は身体ではないとか、自分は心ではないというのは、普通の人間には到底受け入れがたい概念だと思う。


分析的な手法でそれを理解できる人間は、極めてまれなのではないだろうか。



そこで、修行上の体験というものが重要性を帯びてくる。


クンダリニーヨーガの激しい修行によって、自分は今まで思っていた自分ではないという体験をするのである。



結局は、最終解脱へ到る実践というのは、現世においては四念処しかない。


勿論、この現世には出家も含んでいる。


生きている間の修行においてという意味である。



で、四念処をやりさえすればそれでいいはずなのだが、理論的な理解が出来ていないとそれが続かない。


ところが激しい修行において、自分が身体ではないという体験を、自分が心ではないという体験を、たとえ一瞬でもすることによって、この考え方が理論的に正しいことが理解できる。


そのためのクンダリニーヨーガの修行であり、神秘体験なのである。



ところで、アーチャリーの予言に、6人の最終解脱者の話がある。


その6人は在家ということらしいのだが、それは正しいと思う。


というか、在家からしか出る可能性はないと思う。



なぜなら、出家している連中は、最終解脱のための実践方法を知らないからである。


アレフもひかりの輪も、僕のブログを見ることはないだろう。


ところが在家なら、僕のブログを見ている可能性がある。


今はどの集団にも所属していない元サマナは、1,000人以上いる。


その1,000人のうちの6人。


僕には、有り得ない数字ではないように思える。