面会の受付とは逆方向、廊下の反対側の突き当たりに差し入れ・宅下げの受付窓口がある。
右側が現金の窓口、それ以外の差し入れが真ん中の窓口だ。
現金だけが別扱いになっているが、それは受付においてある用紙も同じ。
現金だけが赤い用紙、それ以外が白い用紙。
その赤い用紙に、自分の住所・氏名を記入する。
これが中にいる死刑囚に伝えられ、御礼の手紙が来るということになる。
死刑囚の名前を記入する欄の他にも、死刑囚の生年月日や年齢を記入する欄がある。
押印が必要なのだが、印鑑を持ってきていなかったので、この三つを無視して提出することにした。
赤い用紙とお金を持って窓口へ行くと、ここも面会の受付窓口と同じくアクリル板で覆われている。
そのアクリル板の下からやり取りをするのだが、長方形の箱みたいになっているのを見て、思わず羊たちの沈黙を連想してしまった。(笑)
中にいる女性から「お金は後で結構です。先に領収書作ります。」
と言われ、用紙を差し出すと、「印鑑をお持ちですか?」と聞かれたので、「持っていません。」と答える。
「じゃあ、拇印をお願いします。」と言われたので、念のため「どの指ですか?」と聞くと「右手の人差し指で。」という答えが返ってきた。
「出来たらお呼びしますので、お待ちください。」と言われ待つことに。
程なくして、現金と引き換えに領収書を受け取った。
特に身分証明書の提示を求められることもなく、無事終了した。
正直、あっけない。
実にあっけない。
この現金の差し入れというやつは、東京拘置所に来さえすれば誰にでも出来る。
それは中にいる死刑囚の誰にでもであり、外にいるサマナ、オウマー、一般の人の誰にでもである。
分かってしまえば簡単なことだ。
しかも、身分証を提示しなくてもいいということは、三文判さえあれば他人の代わりに差し入れが可能だということになる。
死刑囚から手紙が来るという保証はない。
しかし、僕の知る限り、オウムの死刑囚たちは礼儀正しい大人である。
そしてそれが、遠くからやって来てくれた人であるのなら、なおさらだろう。
それともうひとつ。
泰男にいさんの手紙にはこうある。
「ご厚意ありがとうございます。」
に続いて、
「とても助かります。」
この「とても助かる金額」というのもポイントになるのだと思う。
人生は短い。
悔いのない死を迎えるために(笑)、一生に一度ぐらい試してみてもいいのではないだろうか。
神が定めた死刑囚から、人が定めた死刑囚への差し入れは、彼らに届くことは間違いないのだから。