この解脱の種類に関しての説法はあまりにも少ない。
麻原は下丹田、中丹田、上丹田と言っているが、それぞれの丹田に解脱があるということである。
下丹田、中丹田、上丹田と聞くと、スヴァディスターナチャクラ、アナハタチャクラ、アージュニャーチャクラを連想する人もいると思うが、丹田はチャクラではない。
霊的センターではあるが、それは解脱に直結したセンターである。
これは、解脱、最終解脱、完全解脱というプロセスとはその切り口が違っている。
麻原は詳しく語っていないので個人的見解ということになるが、下丹田は日本の禅におけるもの。
中丹田がキリスト教におけるもの、上丹田がヨーガにおけるものという気がしている。
例えば、シャカムニとキリストと道元はみな解脱者と言っていいのではないかと思うが、どう考えてもそれぞれにタイプが違う。
そして、管・風・心滴という考え方をとり、心滴がある丹田での解脱が起こり、風に乗せて管の中を心滴を運ぶことで他の丹田でも解脱が起こると考えている。
最終的には三つの丹田全てでの解脱が必要ということになる。
麻原はクンダリニーヨーガの修行の実戦でエネルギーが上がるが、その上がったエネルギーを下に降ろすためにはグルが頭頂から強烈なエネルギーを入れる必要があると言っている。
まあ、なんともまとまりのつかない話で、いったいどうするんだということになりそうである。