麻原はよく、「回しておけ」と言っていたが、これがヒンズーツァンダリーのことである。
練り上げることによって、快感に包まれ、全身が痺れ、固定され、自分が無くなる。
いわゆる、悦・喜・軽安・楽のプロセスであるが、まだサマディではない。
この後の究境の瞑想でサマディに入るわけだが、究境の瞑想だけを単独で行ってもほとんど意味がない。
その前の準備として、エネルギーを練り上げておく必要がある。
もっとも、ヒンズーツァンダリーだけをやってもあまり意味は無く、その前の段階の行法が必要である。
いずれにしても、もうグルはいないのだ。
いつまでも頼ることなく、自力で頑張ってもらうしかない。