オウムの教義では輪廻転生があることになっているために、来世地獄に落ちるぞとか来世三悪趣に落ちるぞとかいう死後の恐怖はある。
しかし、死ぬことそのものへの恐怖は全くない。
まったく面白いことなのだが、死ぬのが怖いという人は死ぬことそのものが怖いらしいのだ。
死ねば土に返ると言ってもいいし死ねば消えてなくなるなると言ってもいいが、そんなことは恐怖の対象にはなりえない。
恐怖というものは必ず対象がある。
その対象というのは必ずと言っていいほど苦痛である。
大部分が肉体的苦痛であり、それ以外には精神的苦痛もあるだろう。
ところが純粋に死ぬということそのものには、どこにも苦痛がない。
それなのに恐怖を感じる。
実に面白い。
しかし、僕にはその恐怖がないために、どんなに考えてもその理由がさっぱり分からない。
例えば、まだ仕事を続けたいと考える場合は、その仕事に対する未練とか死ぬのは残念だと言う感情であり恐怖ではない。
他には、残された家族とか周りの人たちのことを考えることもあるだろう。
これはその人たちへの心配であり、これも恐怖ではない。
飛行機が怖いということなら話は分かる。
なぜなら現代の科学では、なぜ飛行機が飛ぶのか未だに解明されていないからだ。
解明されているのは飛行機がどんな風に飛ぶのかであり、なぜ飛ぶのかは仮説の段階に過ぎない。
まあ、飛ぶから飛ぶでいいんじゃないのという話しになっているだけである。
しかしこれも、飛行機なら落ちるということを想定すれば恐怖があるが、死ぬということには飛行機が落ちるということに相当する部分がない。
う~ん、一体なぜなんだろう?