「オウム真理教秘録」によれば、700本の説法テープを数人で分担して聴いたということです。
一般人から見れば凄いことなのかもしれないですが、サマナから見れば甘いですね。
サマナなら700本の説法テープを全部一人で聴いているはずですから。
しかも1回だけではなく数回から10数回です。
それだけでなく、サマナたちが聞いている説法はこの700本以外にも多数存在します。
麻原はI君のことを録音魔と呼んでいたし、「Iはなんでも録音してしまう。録音するなといったものまで録音してしまうからなあ。」と言って嘆いていたのは確かですが、I君の知らない説法が実はたくさんあります。
I君のこの態度は修行者失格ですね。
説法というものはそのときに全てを理解し記憶し、自分の身に付けるもの。
この瞬間はもう二度とやって来ない。
そう思って集中しなくてはだめです。
後で聞き直せばいいやという甘い考えでは、本当の意味での教義の理解など出来るはずがないですからね。
それともうひとつは、麻原が記録に残したくないと考えた説法は残っていないということです。
麻原と世間で言うところの幹部達だけの集まりは、古くは「大師会」でありその後クンダリニーヨーガの成就者が増えて「尊師と集う会」になりましたが、それが記録に残されるようになったのは途中からです。
あるとき麻原が突然、「Iは居るか?」「Iを呼べ。この説法はIに聞かせておかなければならない。」と言い出して、それ以降I君が録画するようになったわけです。
そうかと思えば、「ラーダ、Iと代われ。この説法はIに聞かせるわけにはいかない。」と言ってI君を追い出すこともありました。
それ以外でも、89年の富士での説法があります。
この頃麻原の中でのマイブームだったのかどうか分かりませんが、ほとんど毎日の様に夜中の1時から4時ぐらいに説法がありました。
このときの説法もその場限りのものが多かったですね。
東京本部や支部からも説法が聞きたいという不満が出て、それから録音するようになったと思います。
それ以外にも、世間で言うところの幹部達数人だけを相手にした説法も何度かありました。
僕はこれらの説法全てを聞いているので、オウムの中では教義に関しては非常に恵まれた立場にいたと思います。
信徒向け説法、サマナ向け説法、そして幹部向け説法。
麻原はそれぞれの相手に対して違う説法をしています。
麻原が「この説法はサマナには聞かせるな。」とか「この説法は録画をするな。ビデオを止めろ。」とか言った説法を数多く聞くことが出来たのは幸運でしたね。
オウムの教義を理解する上で必要なのは、やはり十分な情報量ということになるので、少なくとも700本の説法テープは一人で繰り返し聞く。
ひとりで全部聞かないと、教義全体の構造がどうなっているのか把握できませんから。
しかし、それだけではまだ情報量が足りない。
そういう認識が必要だろうなと思います。