そういえばこの頃、富士のサマナがいなくなったという話を聞いた。
「どこへ行ったの?」と聞くと石垣島だという。
「何しに行ったの?」と聞くと、「さあ、何かセミナーやってるみたいだよ。」と言う。
この当時上九のサマナたちは、この忙しいのに遊びに行くなんて呑気なもんだな、少しはこっちのワークを手伝ったらどうだ、ぐらいにしか思っていなかったのだろう。
信徒が一緒に行っている以上、サマナの感覚からすれば修行であるはずはない。
信徒がサマナと同じ修行になど耐えられるはずがないからだ。
もっとも、CBIのサマナたちは、ワークに比べれば修行なんて楽なもんだとよく言っていたが。
それにしても、このときの麻原のというか教団の考えというのはどういうものだったのだろうか?
噴霧車3台を用意して大量に散布するつもりだったのだから、ボツリヌスの影響を受けないようにと、血清用に飼っていた馬を石垣島に連れて行ったのはわかる。
しかし、富士と上九はそれほど離れてはいない。
富士が危険なら、おそらく上九も危険のように思える。
抗生物質の点滴だけで、上九でワークを続けるサマナたちは大丈夫だと確信していたのだろうか。
もしかしてだけど、ボツリヌスの培養が成功していたら、上九のサマナは死傷者が出ていたのではないだろうかと今では思う。