ボツリヌス培養プラント① | 法友(とも)へ

法友(とも)へ

ブログの説明を入力します。

もはや記憶が曖昧で、年代順に記憶をたどるのは不可能に思えるので、思いつくままに書いていきたい。



オウムが上九に進出したのは90年の初めであったと記憶している。


土地の取得は89年から進められていたようであるが、なんらかの建物が建ち始めたのは衆議院選挙の後からであったはずだ。


たしか一番最初は印刷工場であったと思う。


後に印刷工場は第二サティアンと同じ敷地内に移ることになるが、最初の建物は別の場所にあった。



衆議院選挙の後、杉並に結集していたサマナたちは大挙して富士に押し寄せていた。


様々な部署に選り分けられたが、どこの部署でも人が余っていたように思う。


そんな中、印刷班の募集があり、しばらくの研修の後どこかへ移ったらしく富士の道場から姿を消した。



このとき僕は何をやっていたのかというと、メタンガスの実用化に見切りをつけて次のテーマに移ろうとしていた。


まったくオウムという集団は、いきあたりばったりでよくも色んな事を思いつくものだと感心する。


サマナの糞尿を集めてメタンガスを生成し、調理用のガスとして使おうとしていたのだ。



道場の裏手の空き地のほったて小屋の中にドラム缶を置き、その中にトイレの汲み取り口からひしゃくで汲み上げた糞尿をためてメタン細菌を投入。


厚手の発泡スチロールをドラム缶の内側に入るように丸く加工して内側をおわんの様にくり抜き、ガラス管、ゴムホース、弁をつけその発泡スチロールをドラム缶に浮かべる。


大量の蛆虫が発生し、もの凄い有様ではあったがとりあえずガスは発生していた。



火をつけてみると先端が赤い。


不純物が多かったのかもしれない。


メタンガスの濃度計がないのでとりあえず酸素濃度を測ってみると10%を切っていた。


次は何種類か検知管を使って調べる予定だったのだが、実は問題が山積していた。