自然農法にも様々なやり方がある。
それぞれいくつか違いはあるものの、それらは全て福岡正信を基本としている。
自然農法でなくても、化学肥料や堆肥を使う方法であっても、農業の基本技術として必要なのが団粒構造である。
これが出来ていないと、野菜はなかなか上手く育たない。
オウムでもロータスビレッジ構想の一環として、自給自足のために農業を研究していた。
しかし、既存の農法では、まともに収穫するにはどうしても農薬を使わざるを得ず(使わない場合は捕殺)諦めたという経緯がある。
まあ、修行者というものは、信者からの供養によって生きる者ではあるが。(笑)
で、自然農法では当然に農薬も除草剤も使わない。
害虫などという虫はいない。
雑草などという草はない。
という考え方をする。
一切の争いを放棄した、完全なる非暴力の実践である。
しかし、実際に自然農法をやってみても上手くいかない。
何年もかけて頑張っているのに、まともに収穫出来ないのだ。
これは、方法が間違っているのでもなければ、努力が足りないのでもない。
ただ、時間が必要なだけなのだ。
5年では足りない。
10年あれば誰にでも出来る。
大自然と同じ、団粒構造が出来上がるまでに、それだけの時間が必要なのだ。
自分が成すのではない。
それは、ただ起こるのだ。
これはまさしく修行と同じである。
自分はなんと無力なのだろう。
そう思ったときからが、本当のスタートだ。
さあ、修行するぞ!修行するぞ!修行するぞ!