こんにちは!
マインドームインストラクターのいけだまりこです。
今日は、少し気になったニュースについて、
コメントしてみようと思います。
「調和の中で生きる能力がないから」
1931年に生まれた眞鍋氏は、現在90歳。東京大学大学院を修了した1958年に27歳で渡米し、1975年に米国市民権(国籍)を取得、キャリアのほとんどをアメリカで築いてきた。会見で、米国籍を選んだ理由について、眞鍋氏は、
「日本人は調和を重んじる。イエスがイエスを意味せず、常に相手を傷つけないよう、周りがどう考えるかを気にする。アメリカでは、他人にどう思われるかを気にせず好きなことができる。私は私のしたいことをしたい」
と述べ、
“I don’t want to go back to Japan.” “Because I am not able to live harmoniously.”
「私は日本に戻りたくない」「なぜなら調和の中で生きる能力がないから」
と答えた。
会場ではこれをジョークと解釈したのか和やかな笑いが起きたが、私は大真面目かつ率直な発言だと感じた。海外で生きている多くの日本人がこのひと言に共感したと思う。
この記事をみて、私は「出る杭は打たれる」という言葉を思い出しました。
周りと違う意見を言おうものなら潰される。
何か違うって思っても、周りにあわせなければならない。
「出る杭は打たれる」
だから、周りに合わせる平均的な人材は育つけれど、才能を発揮する異端児のような人たちは生きづらいのが日本。
私自身、出る杭は打たれるという文化は嫌いで、
出過ぎる杭になって、抜かれて、こんな同調圧力の集団から
とっとと抜け出してやろう、という反骨精神で生きてきた部分もあります。
令和哲学者のNoh先生は、この記事をみて、
「出る杭を打つ日本だからこそ、
唯一の希望である」と解析されました。
打って打って
それでも出てくる杭が本物である。
観点に固定されたままの中途半端な個人主義は、打てば壊れてしまう。
しかし、観点0・観点∞・観点1を自由に楽しめるようになれば、個性の花を咲かせ個人を完成させることができる。個人が完成した共同体主義は、打たれても壊れない
というのです。
本物を育てるために、
出る杭を打つ文化をもつ日本。
打たれない環境を選ぶのではなく
打たれる環境で本物になる。
日本を生きる人たちには
無意識にそんな決意があるのかもしれませんね。