転生したのでしょうがなく 07 悪魔の赤子 | aitocolab ブログ 

――そして。


とある世界。


ベルク王国。


大陸暦842年。


王宮の一室で、

一つの生命が芽吹いた。


新しい命の誕生。


本来なら、

喜びに包まれるはずの瞬間。


けれど――


その子の誕生を、

心から喜ぶ者は誰もいなかった。


そんなことを知る由もなく――


「……っ」


突然、

息ができなくなった。


苦しい。


何が起きているのか分からない。


息を吸おうとしても、

うまく吸えない。


このまま死ぬ。


そう思った瞬間――


「おぎゃあああっ!」


空気が肺へ流れ込んだ。


同時に、

自分でも驚くほど大きな声が出た。


「おぎゃあ……!」


……なんだ、これ。


声が勝手に出ている。


目を開けようとしても、

ぼんやりとしか見えない。


音も、

はっきりとは聞き取れない。


ただ――


近くに誰かがいる。


それだけは分かった。


人の気配。


複数いるような気もする。


少しずつ呼吸が落ち着いてくる。


そこでようやく、

頭が働き始めた。


……もしかして。


俺、生まれたのか?


そう考えた瞬間、

妙に納得した。


転生。


あの場所で聞いた話。


おじさんとの最後の会話。


扉を開けたときの、

あの眩しい光。


そして――


今の自分の身体。


視界もまともに見えない。


まともに喋ることもできない。


手足も思うように動かせない。


どう考えても――


俺は今、

生まれたばかりの赤ん坊だった。


それからしばらくは、

赤ん坊として過ごすことになった。

当然だけど――

転生者だと怪しまれるわけにはいかない。

泣く。

眠る。

手足を動かす。

できるだけ普通の赤ん坊を
演じることにした。

ただ、人の話を聞いているうちに、
自分の置かれている状況が
少しずつ分かってきた。

どうやら俺は、
かなり微妙な立場らしい。

母親は国王のお手付きで、
俺を身ごもった。

本来なら、
第一夫人の子供より後に
生まれる予定だったらしい。

ところが――

俺が予定より早く生まれ、
さらに第一夫人の出産が遅れた。

その結果。

本来なら第二王子となるはずだった子供より、
俺が先に生まれてしまった。

つまり俺が、
第一王子になってしまったわけだ。

当然、
第一夫人側は面白くない。

少しして、
第二王子が生まれた。

そのときの王宮の様子を聞いていると、
どうやら俺の誕生よりも
ずっと喜ばれていたらしい。

……まあ、
なんとなく理由は分かる。

俺の母親は正妃でもなければ、
大きな派閥を持つ貴族の娘でもない。

そんな母親から生まれた俺が、
偶然とはいえ第一王子になった。

王宮の中で、
俺を快く思わない人間が増えるのも
無理はなかった。

幸いだったのは、
俺の世話をしてくれている女性が
どの派閥にも属していないような
貴族の娘だったこと。

おかげで、
最低限の世話はしてもらえた。

それでも――

王宮での生活は、
生まれたばかりの赤ん坊にしては
落ち着かないものだった。

そして俺自身も、
赤ん坊を完璧に演じているつもりだった。

……つもりだった。

けれど、
何となく周囲の視線が
妙に感じられることがある。

もしかすると、
赤ん坊としては少しだけ
違和感があったのかもしれない。

そんな生活を続けていると――

何度か、
命を狙われた。

食事。

寝室。

世話をしている人間。

赤ん坊だからこそ、
普通なら気づけないような危険もあった。

けれど――

俺には、
転生前に手に入れた能力がある。

危険を感じれば魔法を使い、
可能な限り痕跡を残さずに防ぐ。

最初は、
ただ生き残るためだった。

それが何度も続くうちに、
魔法の扱いにも慣れていった。

気配を隠す技術も、
少しずつ上達していく。

結果として――

赤ん坊の時代は、
俺の魔法技術を大きく成長させる
訓練期間にもなっていた。

もちろん本人としては、

「できれば普通に
赤ん坊をやらせてほしい」

というのが、
正直なところだった。

そんな中――

主人公の世話役をしていた女性に、ある命令が下された。

高位貴族の派閥からの、暗殺命令だった。

女性の実家は、貧しい男爵家。

爵位こそあるものの、家計に余裕はない。

両親のためにも、お金が必要だった。

そんな彼女に、高位貴族は持ちかけた。

主人公を暗殺すれば、大金を渡す。

女性は悩んだ。

しかし――

家族のために、その命令を受けてしまった。

そしてある日。

主人公の食事に、毒を入れた。

けれど――

主人公には、毒が通じなかった。

女性は青ざめる。

「……そんな……」

失敗した。

このままでは、主人公を殺せなかったことが知られてしまう。

そうなれば、自分だけでは済まない。

両親にも迷惑がかかる。

女性は震える手で、残った毒を取り出した。

「……これで……」

自分が毒見をして死んだ。

そういうことにすればいい。

自分一人が死ねば、両親は助かる。

そう考えて、毒を口元へ運ぶ。

その時だった。

『やめたほうがいいよ』

「――っ!?」

女性の手が止まった。

今、何か聞こえた。

女性は慌てて周囲を見回す。

誰もいない。

扉も閉まっている。

窓も閉まっている。

「……誰?」

返事はない。

女性は部屋の隅まで視線を走らせる。

「誰か……いるのですか?」

物陰。

家具の裏。

扉の向こう。

誰かが隠れているのではないか。

そう思って、必死に探す。

けれど――

誰もいない。

「……気のせい?」

『おーい』

「ひっ!?」

また聞こえた。

今度は、はっきりと。

しかも――

耳からではない。

頭の中に直接、声が響いた。

「……念話?」

女性は思わず呟いた。

念話という魔法自体は存在している。

しかし、誰でも使えるような魔法ではない。

使える者はごく一部。

ましてや――

こんな幼い赤子が使えるなど、聞いたことがない。

女性は恐る恐る、ベッドの上を見る。

そこには主人公がいた。

小さな身体。

何も知らないような顔。

そして――

女性をじっと見つめている。

「……まさか」

『うん』

「……あなた、なのですか?」

『そうだよ』

女性の顔が青ざめる。

赤子の口は動いていない。

それなのに、頭の中へ声が届いている。

「…………」

女性は一歩、後ずさった。

「悪魔……?」

『酷い!』

「――っ!?」

『僕は可愛い可愛い赤ちゃんだよ?』

「赤ちゃんはそんなこと言いません!」

思わず即答してしまった。

『…………』

主人公は少し黙った。

『でも、可愛いでしょ?』

女性は赤子を見る。

確かに可愛い。

可愛いのだが――

「……可愛いですけど」

「それとこれとは話が別です!」

女性は頭を抱えた。

念話を使えるだけでも異常なのに。

その相手が、まだ言葉すら話せないはずの赤子。

怖い。

正直、かなり気味が悪い。

そんな女性に、主人公が尋ねる。

『ところで、どうして死のうとしてるの?』

女性は黙り込んだ。

そして、両親のこと。

貧しい男爵家であること。

お金が必要だったこと。

高位貴族から暗殺を持ちかけられたこと。

すべてを話した。

「ですが……私は失敗しました」

女性は涙を流す。

「私が失敗すれば、両親にも迷惑がかかります」

「ですから……私が毒見をして死んだことにすれば……」

『死ぬ必要なんてないよ』

「……え?」

『君が死んでも、ご両親が助かるとは限らないでしょ』

女性は首を横に振った。

「でも……そうしないと!」

『どうして?』

「家に迷惑がかかるの!」

女性は思わず声を荒げた。

「私が失敗したことが知られたら、両親はどうなるの!?」

「貧乏な男爵家なんです!」

「私が死んで、全部私の独断だったことにすれば……!」

そこで一度、言葉が止まる。

女性は赤子を睨むように見つめた。

「……赤子のあなたが、助けてくれるの?」

「私の家を……両親を助けられるの!?」

主人公は黙った。

確かに。

今の自分に出来ることは少ない。

赤子なのだから。

女性は俯いた。

「……そうよね」

「助けられるわけ、ないものね……」

その言葉には、諦めが滲んでいた。

主人公は少し考える。

確かに今すぐ何かをしてあげることは出来ない。

けれど――

『まあ、今のところ出来ることは少ないけど』

女性が顔を上げる。

『話を聞くくらいなら出来るよ』

『それに、話を聞いてみたら、何か出来ることがあるかもしれないし』

「…………」

女性は何も言わなかった。

ただ、目の前の赤子を見つめている。

自分を殺そうとした相手。

しかも、まだ何も出来ないはずの赤子。

なのに。

自分の話を聞こうとしてくれている。

「……変な、お方……」

女性は小さく呟いた。

『そうかな?』

「……はい」

女性は涙を拭った。

不思議だった。

さっきまで死ぬしかないと思っていた。

けれど。

この赤子と話しているうちに――

少しだけ、気持ちが落ち着いてきた。

自分でも、なぜなのか分からない。

ただ。

誰にも相談できなかったことを、初めて誰かに話した。

それだけなのかもしれない。

『だから、死ぬのはもう少し待とうよ』

「……もう少し?」

『うん』

『せっかく話してくれたんだから』

女性は、その言葉を聞いて俯いた。

そして――

「……はい」

小さく頷いた。

この時。

女性の中で、何かが変わり始めていた。

最初は、恐ろしい存在だと思った。

次に、悪魔なのではないかと疑った。

けれど。

目の前の赤子は、自分の話を聞いてくれた。

何も出来ないと言われても、突き放さなかった。

むしろ、自分を落ち着かせようとしている。

「……不思議な、お方……」

女性は、もう一度そう呟いた。

そして――

いつしか女性は、この赤子をただの主人ではなく。

自分が守らなければならない、特別な存在だと思うようになっていた。