8月9日にリリースされる水田竜子さん(キングレコード)の新曲「新庄恋しや」をひとあし早く聴かせていただきました。
みなさまにも早く、「新庄恋しや」に出逢っていただきたい。そして、主人公の女性に強く優しく寄り添っている水田竜子さんご自身にもこの歌を通して触れていただきたい。
そう想いながらライナーノーツを書かせていただきました。
『新庄恋しや』特設ページ
◆主人公と水田竜子のコラボレーション
かねてより、水田竜子という女性には“凛”という字が似合う。
ことに、近年では牡丹の花を思わせる“凛”をまとっている。
牡丹といえば、「立てば芍薬 座れば牡丹」の句を誰しも思い浮かべると思うが、さて、歌う姿は——?
8月9日発売の新曲「新庄恋しや」に見る女性は、都会という名の街で、まさに“凛”として生きている。
だが、その内にあるものは幸せを押しのけるほどの“淋しさ”であり、心の中でしか“淋しい”と言えない女性である。
馬子唄に乗せることで初めて、ふるさとを恋うる彼女の愛惜は声になる。
力強くも繊細に、その節を歌い上げる水田竜子の声がそれを叶えている。
あの日、始発に乗った自分を振り返るとき、この女性は何を思うのだろう?
憧れが日常に変わったと気付いたとき、人は淋しさを味わう。
けれども、彼女はその淋しさに飲み込まれはしない。切ないほどになつかしがるものの、戻ろうとは思っていない。
「ここで生きる」覚悟を据えている。
元来、郷愁感とはひそやかな、心の奥底に静かに横たわるような、それでいて押さえきれない恋慕のような想いである。
相反するようでいて、迷いのない水田竜子の声は不思議なほど、主人公の女性がともなう郷愁感にピタリと寄り添っている。
それは澄み切った“音”となって、耳や心だけでなく身体中に、そして骨にまで響いてくるようだ。
これまで、水田竜子が歌い紡いで来た女性像は、自立しているようでいて、どこか恋に主導権を握られていた。
ともすれば、恋や愛に振り回されているともいえる女性たちだった。
けれども「新庄恋しや」の女性は、“ここ”を動きはしない。
動じない女性が背筋を伸ばして佇んでいる姿が、マイナー調のメロディとともに聴く者の心に流れ込んでくるはずだ。
それは、25年という節目を目の前にした水田竜子自身の心構えのようにも映る。「新庄恋しや」のそこここに、水田竜子の横顔が見え隠れしている。
どうやら歌う姿は、これまで私たちに見せてきた姿と、初めて見せる姿のハーフ&ハーフのようだ。
この歌を分岐点に水田竜子の歌は、恋模様が見える歌から人生が見える歌へと変化を遂げる。きっと。
プレ25周年のこの時にふさわしい、なんとも繊細なゆらぎのある、なんとも欲張りな歌の、お目見え——。
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水田竜子 オフィシャルサイト 竜宮城
水田竜子オフィシャルブログ「水田竜子の乙姫日記」