今年ももう終わり、入院前に、夏服どころか冬の服も「もう使わないかもしれんな」と捨ててしまったので、娑婆に出たら少し寒い(>_<)
私、手術自体は長丁場とはいえ上手くいったのだけど、術後が少し良くなかったんですよね。
心臓の拍動がしっかり戻らず、不整脈、徐脈になってしまい、いったんはICUから一般病棟に移ったものの、またICUに戻される始末。
そこで今回、はっきり認識したのは、「俺も死ぬんだな」ってこと。
それは10年先か20年先か、はたまた30年先のことかもしれないけど、はっきりと終わりが見えた。
普通は、大人になれば、「自分がいつかは死ぬこと」に気付くのかもしれないけれど、私は、この歳まで「自分だけは死なないだろう」という風に思っていましたから(^^;)
実際何時間も人工心肺につながれたり、電気ショックをしたりしたわけで、今回ほぼ死んでましたね笑
死は身体的感覚の部分が大きいので上手く言葉にできないけど、「もう終わりなんだっていう寂寞」と「やっと終われるという安堵」、この二つ我にありってところ。
誰しもいつか死ぬ、この絶対の制約の他に、自分を縛るものなんて必要なかったんですよね。
随分と詰まらないことで自分を縛ってきたなとしみじみで、今後は、大切な人を大切にし、悔い無き生を送りたいものです。
気付くのに時間がかかりましたが、でも、これでようやく自分自身として生きられる。
で、ICUにいた頃に見た夢で、いま思えばこれが臨死体験だったのかなあとも思うもの。
昔、うちで飼っていたペットの犬(ファイト)、猫(レイ)、猫(チビ)が皆きてくれて、あたたかい陽がさす芝生で一緒に遊ぶ夢を見たんですね。
嬉しくてひとしきり遊んだんですが、しばらくして、皆、「じゃあね」って感じで、向こうに行ってしまおうとする。
私ももちろん付いていこうとしたのですが、「ウゥ……」とか「シャー」って怒った顔をするから、私だけトボトボこっちに戻ってきた、それで目が覚めた、そんな夢です。
目が覚めたとき、少し寂しかったですね。
でも、「あいつらが生きろって言うなら、もう一度、いや何度でも立ち上がるでしょ」と俄然パワーが出てきた。
その後は徐脈が起こることもなく、メキメキと回復して今に至るのですが、やっぱりペットの力ってスゴい。
求めていないアドバイスとか応援とか、人間に言われるとイラッとすることもあるけど、何だか動物の眼差しには癒やされるんですよね。
とはいえ、久しぶりに3匹に会えて嬉しかったけれど、反面、ペットロス感が半端ない(>_<)
涙がドバドバ出そうになるので、そこで、この「アニマル・ペットロス療法士」講座をGET。
ここは以前、メンタルケア心理専門士の資格講座を受けたところですが、悲嘆学からフォーカシング、ゲシュタルト療法まで学べるようで、これらとペットロスとの関係も気になりますね。
今回の講座も複数資格が取れるので、資格マニア的にもうれしい限りで、私もしっかり勉強してペットロスを乗り越えたいと思います(^^)/