チャンス   Being There | ギズモとおいもの部屋

ギズモとおいもの部屋

愛犬のお話、息子の事、音楽、映画、酒、料理、
そして、可愛いぴーちゃんの事など徒然に
書き綴っています。

僕の妻えりんぎのブログです。

 

さて・・      (← ・・   )

 

          

 

 

 映画 「チャンス」Being There を 観ました

 

                                            ・・以前観ているんですね  えぇ

 

 

 天才悪魔フー・マンチューの

ピーター・セラーズが こういう演技をやりこなすのか!  

 

と 感動を覚えたと まろ様が言っていました

 

 

ところが 私が記憶しているのは

最後のシーンだけ    それもハッキリと  

 

       

      ・・あれ?

 

 

ということは もしかしたら 何らかの訳アリで

最後だけ うっかり観てしまった?   ・・のかもしれません

 

作品を観た記憶力は まろ様よりも自信ありなのに

状況は思い出せないらしく   ( もしくは 思い出したくない のか) 

                       

 

 

 

なので

あの意味深げなラストは 一体 何を言わんとしていたのか・・

 

 

とても気になるので   今回 観ることにしたのです

 

 

 

勿論 まろ様と 二人で鑑賞です

 

 

 

↑  

 

                          

 

 

この作品はニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」を下敷きにした

ジャージ・コジンスキーの原作・脚色のコメディ映画 であり

愚者が山から下り教師となって、エンディングではツァラトゥストラに則り超人となってしまう。そんな主人公を取り巻く人々の姿を20世紀後半の

ワシントンD.C.を舞台に活写した     Wiki より

 

 

 

と 書いてあります    「ツァラトゥストラはかく語りき」というと

 あの映画思い出しますよね?  

 

リヒャルト・シュトラウスのこの曲がガンガン流れていたのは

「2001年宇宙の旅」      これがね 流れるんです

ジャズ仕立てですが なかなか良いですし

かなり印象的ですよ 個人的に 

  

 

 

・・あの何回観ても

難解な    「2001年宇宙の旅」 ・・  

 

 

 

 

 

そこでです   せっかくだから「チャンス」を観た後

ピーター・セラーズ と キューブリック監督 つながりで  

 

「博士の異常な愛情」 「ロリータ」 

 

も観よう となりまして

 「ロリータ」はまだですが  「博士の異常な愛情」の方は

すぐに観ました

 

面白かったですよ  今の世の中を仕切るアレレな方々様にも

通じるような 軍や政府の上層部連中の狂気じみた正気 (イヤ、

異常者) がこの世を破壊していくんだけど

ブラックで 笑える     のがヤバイ・・    (簡単感想)

ここで ピーター・セラーズは

ストレンジラヴ博士 、 マンドレイク大佐 、マフリー大統領

三役をこなしています  

 

キューブリック監督は こんなのも作るんですね  意外でした

 

 

 

と ・・   若干 ・・逸れました (汗) 

 

 

 

 

・・ なにせ 小刻みに時間を活用して書いているせいか   

それに伴う 消え失せそうな気力 とやらに叱咤激励を浴びせなくては

ならぬ・・ という

この うんヶ月・・   ( ←  ホントか!)

 

 

  いつもに拍車をかけて あっちこっち のたまいそう‥  

 

 

 

 

 

 

 

 

ということで 本題に戻ります   

 

 

こんなふうに

色々書いていくと いかにも この映画 小難しい映画のように

思われそうですが

そんな事はない (と思います) 

 

 

なんといっても主演はピーター・セラーズ  

 

皆さんご存知  ピンク・パンサーシリーズ の俳優さんでありますし

        ↑ (・・書いてる本人は あまり詳しくなかったりする)

 

そして「チャンス」はコメディ映画なんです

 

        (天才悪魔フー・マンチュー・・っつーのも気にはなる)

 

 

 

 

とはいえ見方により面白さはそれぞれですし

どう解釈するかは 観る側次第  

 

全てに言えることですが  特に

そこが狙いなようにも思える映画なのであります

                 (・・ コレ書いている本人もアヤシイからな)

 

 

 

 

 

 

 

・・さて

前記の wiki によると

ジャージ・コジンスキーの著書  (庭師   ただそこにいるだけの人)

がこの映画のもとになっていますとのこと  

  

(このジャージ・コジンスキーですが イエジー・コジンスキーと記載されている場合もありますがここではジャージ・コジンスキーとしておきます)

 

 

 

 

そこで

この著者について少しだけご紹介させて下さい

 

 

この著者はユダヤ系ポーランド人。 ロシア革命の亡命ユダヤ人

ミェチスワフ・レヴィンコプフ(Mieczysław Lewinkopf)と、ポーランドの

ユダヤ人エルジュビェタ・リニェツカ(Elżbieta Liniecka )を両親として

ウッチに生まれる。 第二次世界大戦中は両親と別れ、片田舎で

カトリック教徒を装いホロコーストをのがれる。

このときのトラウマのために五年間、彼は口が聞けなくなった。

 

                 wiki  より抜粋

 

 

因みに ジャージ・コジンスキー自伝的小説

異端の鳥」 は映画化されています

まだ観てはいませんが  気になるところです

ジャケットがコレ又印象的すぎる

 

 

 

 

 

 

 

そして  「チヤンス」の裏面にも

面白いエピソードが書いてあります

 

 

こちらも  ご紹介します

 

 

 

「チャンス」の原作者  ジャージ・コジンスキーの元に、一通の電報が

届く    差出人は本の主人公、庭師のチャンス

 

ニワデマツ   ニワノソトデマツ 

 

記された番号に電話をかけたところ、出たのがピーター・セラーズだった

かくしてモダンコメディーの傑作が誕生し、セラーズは見事に主役を

演じきる 

 

(ナショナル・ボード・オブ・レビュー及びゴールデン・グローブ賞で

主演男優賞獲得、アカデミー賞主演男優賞ノミネート)

 

 

 

 

ピーター・セラーズの思い入れが深かったという事がよく分かる

エピソードですね  それも死の直前に出演し 彼の代表作と

なったのですから 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてさて

長くなりましたが 軽く(??)  あらすじを

 

 

チャンスは見るのが好き

これは 出だしの画面  

 

テレビでは シューベルトの未完成交響曲が

流れています

 

チャンス(ピーター・セラーズ)は いつものようにテレビの画面に

集中し 体の一部といっても許されそうなリモコン いわゆる チャンネルチェンジャー を片手に 様々なジャンルの番組を観ています

 

 

カシャカシャ 変えていく中でセサミストリートが映り

( ビックバードとパフィーが 友達? 友達がいない などと 言う)

 

さらに 無造作に変えていく チャンス

 

 

時折

画面に映る動作を真剣に真似てみたりする彼にとっては

テレビからの情報が全ての世界であり 唯一の楽しみのようです

 

 

 

 

そんなチャンスは知的障害があり 読み書きも出来ません

 

おそらく 今は年老いたご主人である ジェニングスのお屋敷で 

幼少の頃から暮らしており 外には出たことがないと思われ

 

(これは 映画ではあまり詳しく語られない)

 

 

食事はメイドのルイーズが用意してくれますし

自分の寝室や浴室の場所

そして 庭師としての植物に対しての接し方を知っている それだけで

平和に暮らしていたのでしょう

 

 

そんなある日の朝

メイドのルイーズが取り乱した様子でご主人のジェニングスの死を告げに

来ます    しかし  ご主人の死が理解できずに ぼんやりと

無反応な様子のチャンスでした

 

 

やがて 亡くなったご主人の経済的問題を扱っている 二人の弁護士が

お屋敷に訪れます    チャンスは 庭師です と自己紹介し

このお屋敷でずっと暮らしてきたのだと言い続けますが

 

庭師に対しての言及も無く   

存在を証明するものが何も無いのを

知るのです

 

 

    

その結果 

 

初めて家を出ることを余儀無くされます

 

 

 

 

チャンスはいつもと同じくして

亡きご主人のお古である高級なスーツに身を包み

ステッキ代わりの傘とスーツケースを持ち

お屋敷から出ていきます

 

 

 

 

 

家を出たチャンスが街の中を彷徨い歩くそのシーンに流れるのが

 「ツァラトゥストラはかく語りき」 なんですね

 

 

なぜこの曲かについては

前記の記載にあるように ニーチェの著書

山に籠っていたツァラトゥストラが 神の死を知って山から下り 人々に

教えを施す  というもの に関連づけられたのでしょう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この場面は

 

彷徨い歩いていたチャンスに 絡んでくるストリートギャング達が

ナイフを向けたシーンです

 

すると チャンスは咄嗟に

傘とスーツケースとともに持ってきた テレビのリモコンを向けて

別のチャンネルに変えようとします

 

これは

テレビだけが知識をえる術だった彼には 当たり前の対処方法

だったのでしょう  消えない彼らに驚きます

 

 

 

こうして チャンスは街の中を空腹で彷徨い歩きますが

初めて見る世界は珍しく 気を取られているうちに

高級車リムジンにぶつけられ 軽傷を負う羽目に  

 

 

ところが

中に乗っていたのは大統領顧問であり 最も強力な実業家の一人で

ある ベンジャミン・ランド(メルヴィン・ダグラス)の妻である

貴婦人イブ・ランド(シャーリー・マクレーン)でありました

 

 

彼を立派な人物と受け取ったイブ・ランドは 衝突による法的な

トラブルを避ける為   彼女の豪邸での治療をする

選択をします

 

 

 

 

という

偶然な幸運の 出会い があります

 

 

 

豪邸に着いて

チャンスは 庭師のチャンスですと名乗りますが 彼女は間違えて

「チャウンシー・ガーディナー」 と夫や他の人に紹介します

 

 

チャンスは

会社が失敗したビジネスマンであると誤解され 名前も変更された

そのままに

無期限に滞在するよう招待されます

 

 

 

 

 

 

 

チャンス(ピーター・セラーズ) とベンジャミン・ランド(メルヴィン・ダグラス)

 

(メルビン・ダグラスは この演技でアカデミー助演男優賞を受賞)

 

 

 

ベンジャミン・ランドも又 彼を実体のある男と間違え  彼と夕食をとった後に 「チャウンシー・ガーディナー」をとても好きになります  

 

 

更にチャンスは彼らとベンジャミン・ランドの米国大統領を含む訪問している高官に前向きな印象を与えることとなります

 

 

 

 

例えばこんなシーンがあります

 

大統領から経済政策について尋ねられると

 

 

根が切断されない限り  すべてが順調で  すべてが 庭で順調に

なります  

 

成長には季節があります   最初は春と夏ですが 秋と冬があります

そしてまた  春と夏になります

 

 

 

このチャンスの言葉に対して ランドは

 

私たちの洞察に満ちた若い友人が言っていることは 

私たちは自然の避けられない季節を歓迎するということだと思いますが

私たちは経済の季節に動揺しています

 

と述べ

 

 

これに対し
チャンスは 穏やかな笑みを浮かべながら 

 

     はい  春には成長が見込まれます  

 

と ゆったりとした柔らかな口調で  深くうなずくのです

 

 

 

この言葉に 大統領は  国の経済成長についての深い知恵の

寓話的な声明として 庭の季節変化についての 「チャウンシー・ガーディナー」 の説明に満足し  感銘を受けます

 

 

公開会議のスピーチでは さらに装飾されたものになり

誰もが「チャウンシー・ガーディナー」に興味を持ち 見事で

面白い人物として有名になるのです

 

 

 

勿論 「チャウンシー・ガーディナー」という人物に疑いを持ち

素性を調べられもしますが  何一つ情報が無いのです

 

 

更に もう少しだけ 書いておきますね

 

 

大統領が国の経済のために彼の「ガーデニング」の比喩を使用していることについて尋ねられた際には   こう答えます

 

    すべてが強くなる可能性があります

 

 

あなたが あなたの庭にたくさんの愛を与えるならば

物事は成長します

 

 

しかし 最初にいくつかのものは枯れなければなりません

 

いくつかの木が枯れます

 

新鮮な若い苗木が代わりになります

 

 

更に 

文盲であるチャンス 「チャウンシー・ガーディナー」は

こうも言い 記者を驚かせます

 

 

私は論文を読みません  私はテレビを見ます

 

私はテレビを見るのが好きです  (この言葉は何度か出てきます)

 

 

公の場でこう言い放つ勇気を持っている人はほとんどいません!

それを認める勇気がありません!

 

と 記者は興奮気味に褒め称えるのでした

 

 

と  

 

 

こうして

 

 

その無垢で純真な精神を持ち合わせているが故に 素朴な返答だけで

 

深遠さだと誤解され  ただ そこにいるだけで いつのまにか

 

政治の表舞台へと繰り出され 大統領候補にまでなる

 

 

というコメディ映画 です      御伽話的な感じも受けます

 

 

 

 

 

この映画のひとつのテーマとして  表面的な外観の

重要性というものを感じます

 

というのは

チャンスは 亡くなったご主人の高級服をいつも身に着けており

実に品があり 身分も高く見え口調も柔らかく 物腰も落ち着いている

 

これは

多分 幼いときからご主人を見てきたからなのでは

ないでしょうか

 

この映画での説明はありませんでしたが

 

 

 

そんな外観を持つ彼の   常に穏やかであるところ

 

そして 共感を抱くように 深くうなずく様子

 

これは 相対する者に 不自然さを感じさせず

 

彼の纏う雰囲気からは 邪念というものが発せられ無いから

 

人は誤解してしまうのでしょうね    

 

 

これは 単に

 

テレビからの知識 (ジェスチャー)

からだけ では無いのでしょう

 

 

彼は会話の中で幾度か  見ることが大好きです と

答えますが・・

 

 

 

 

 

もう一つのテーマは死

 

年老いた ご主人 ジェニングスの死 により

運命が変わったこと

 

 

そして

死が間近である年配の実業家の大物

ベンジャミン・ランド との友情

 

 

ご主人の 死 が理解出来ず 無表情だったチャンスが

ベンが亡くなる時 初めて 死 を理解し 涙を浮かべる シーンが

印象的でした

 

 

 

 

そして ベンは

死んでいく自分の妻をよろしく頼むと早い段階から

チャンスに頼みます

 

 

あいつは繊細な花なのだから・・ と 

 

 

 

 

妻のイブ・ランド(シャーリー・マクレーン)もまた

チヤンスのことが大好きです

チャンス ピーターセラーズ - 映画とライフデザイン

この役のシャーリー・マクレーンの可愛らしいことったら・・

ますます好きになりました  

 

 

 

 

 

まあ なんというか   えーー っ   そんな風に行くんだーー

ってのも観ているとありますが  しかし

これはやはり 寓話なのでしょう

風刺 の度合いを物凄く感じる方は私とは違い

世の中をよく知っておられるのだと思います

人種問題的な部分も 少し感じました

幼少時からチャンスを知るメイドのルイーズは

黒人ですが 有名になりテレビに映るチャンスに

(昔から頭が空っぽだと知っているよ  白人だから

こうして持ち上げられるんだ) という発言がありました

 

 

 

 

そして なんとも 言えない

演じるピーター・セラーズの演技 その

表情は 邪念のない幼い子どものままという風で・・

 

 

 

果たして

愚者とは・・     という疑問を追い求めると

ニーチェ そしてニーチェが心酔し 後に決別した リヒャルト・ワーグナー

のパルジファル(無垢で愚かな若者) 楽劇もまた関連があるのかも

とも思いました  映画の中でも ・・Parsifal って言ってたし

 

 

 

 

 

しかし

 

 

無表情  無感情  というと かなり端的な物言いですが

そこに  神秘的なものを付け足し  

 

その手前で演じているかのような      

何とも表現出来ない ピーター・セラーズの演技

 

 

可笑しくて笑う というよりも 心優しく 微笑みを誘うような

どこか癒やされる  そんな雰囲気がとても良く

素敵な映画だと思います   私もチャンスが大好きです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後です

 

 

 

 

 

 

 

ランドの追悼式にて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大統領が弔事を述べ  幹部らが次期大統領の最有力候補は

チャンスだと囁かれる中

 

 

 

 

 

 

 

 

チャンスは 皆から離れ  ひとり 湖畔に向かいます

 

 

 

 

 

 

 

大統領が  ベンが遺した 言葉を述べて いる中

 

 

 

 

 

ステッキ代わりの傘とともに  水面を歩くのです

 

 

 

 

 

 

 

ご覧のように ステッキ代わりの傘は

 

湖の深さに  沈み込み   その深さの上に

 

チャンスがいるのだと  証明しています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水の上を歩くと言えば     多分 誰しもが

 

イエス・キリストの奇跡を 重ねてしまいますね

 

チャンスが救世主  なのかどうかは  判りかねますが

 

この寓話が 宗教を語るものではない事だけは

 

感じるところではあります

 

そう・・   解釈は   それぞれです

 

 

 

        

 

 

 

 

人生が夢物語で 

 

 根拠があろうかと思うもの

が 寧ろ 脆く 手のひらから さらさらとこぼれ落ちてゆくような

心許無いものだと気がついたりもして

 

 

 

いや いや      こんな事が言いたいのではなく

 

 

 

あなたが見ているものは  あなた以外の何物でもない

 

 

もしくは    あなたは あなたを通してしか 全てを見ることが

できない

 

 

 

 

人生とは

 

鏡に映った  己の心の姿 が  そこに在るのみ

 

  

なのかもしれません

 

 

 

 

 

この映画の

最後の言葉に  そんな事を思う 私です

 

 

 

 

     

 

 

 

     "Life is a state of mind"

 

 

      人生は   心の姿  なり