《親》とて人間、、 | けいのブログ

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リウマチを薬を使わないで治そうとしてます。気功、ヒーリングは体調改善にいい感じです。
子育て、夫婦、仲間、いろんな関係から自分の心クセに寄り添う日々。
ふと浮かんだ言葉をブログに綴ります、
よろしくお願いいたします

親とて人間。。



親がどんなに強大で立ち向かえない程の形相で脅し


権威的な振る舞いで支配下に敷こうとしてきても


それは親自身の課題。問題意識を擦り付けてる


親の不安から起こる心配避けに付き合わされてる



、、と同時に反応するならば自分の心を見つめていく


自分は悲しいのか?イヤなのか?怖いのか?


吐き出していくんだ



親しい人との間に。境界線を引けているか?


自分事のように捉えるクセある人は特に、ね



他人の領域に心理的侵略を無意識にしてると


自分が自覚なくコントロールする人になっていく


親子間。兄弟姉妹間。恋人。夫婦。


領域の侵害を自覚なく《親切心》から侵してる



距離感詰めすぎて、苦しく感じることってある


そんな時はあえて距離をおくんだ


見えないけど他人のスペースに踏み込み過ぎてる



親が自覚なく子どもを熱血指導する欲求もまた


このコントロール、支配したい!欲求が暴走してる



『私の言うことだけ聞いていれば間違いないの!』


なんて暴言に自覚なく吐いてコントロール下に


操ってる意識もないものなんだ



おせっかい、管理したがり、仕切り屋、世話焼き


そんな自分の行動が愛情深いから!と自負してる


こんなタイプ、上の立場になると厄介なんだよね


なぜなら、一択しか許さない独裁制になるから



親の欲求通りに動く事を拒むって勇気いるからね


いい子ちゃんで育てられてしまったときは


反抗することに罪悪感さえ浮かぶからね



でも、そう仕向けられた脅しめいた強迫観念に


思考がハックされてるだけ、だとしたなら?


『言うこと聞かない子どもはお仕置きよ!』

『押し入れに閉じ込めちゃうからね!』

『ご飯抜くからね!』

『うちの子と認めないからね!』

『いいから黙って従いなさい!』

『そんな事しちゃダメでしょ!』

『何でアンタはいつもそうなの!』

『もう知らない!』


思い通りにならなくて怒りたいのは実は親のほう


思い通りにしたかったのは実は親の都合


感情のままに脅しつつ支配したのは実は親のほう


心配事を避けようと体験止めたのも実は親の都合



ほんとうに自分がいけない子どもだったわけでなく


ほんとうは実は親の都合で感情的なコントロールを


受けた、ということがけっこうあったりする



そんなの知らない子どもが言葉をまんま鵜呑みに


聞いてしまえば『私が悪いのかな』も浸透していく


感じることなかった罪悪感さえ植え付けられるんだ



理由なき罪悪感、劣等感、無価値観のなかには


大人の生活ベース都合によって制止された


わけわからない出来事、言葉があったりする



そしてそこに自分の罪もなければ親の罪もない


ただ、時間通り進行したかった親のスケジュールに


イライラをぶつけられたり、急かされたりしただけ



子どもには環境下にあっては選べない事が多い


だからこそ、制止された時の親の不安顔や


イライラした顔に左右されて記憶が埋まっていく



しょせん、ちょっと早く生まれただけの


同じかたちをした《いきもの》が


未熟な過程を共に学び体験しあって生きているんだ



親とて人間。。学びは現在進行形なんだよ


未熟な状態のままに生きてるんだ


人は体験することで解るものだから、ね



教え。は人としてこうあれ!と書いてあったとしても


体験することを魂が欲するときにはあえて


至らない体験もしたりするものだ


なぜなら、体感として感じたい!からね



大人たちは強迫観念だらけの世界観に浸かってる


だからおそれが多くて不安だらけの脳にやられてる


なので制止したり躊躇したり、禁止したりして


《無難》を死守したい!と必死な形相で生きてる



そしてそんな強迫観念なんてない子どもの行動が


読めなくて、怖くて、止めたくなる


なぜなら不安になるから、自分の世界が壊れるって


安全な世界だと信じてる現状維持が脅かされるって



不安脳。に侵されてる人は特に挙動不審気味に


世界を敵視して信用できないんだ



《危険、危ない!逃げろ!警戒!回避!》


まるで台風アラートみたいな状態に思考ハック


キョドってる、びびってる、、


そういう思考に占拠されてると


世間体というまやかしにやられてしまうの


メディアの煽動通り。にね



《失敗恐れる⇒制裁怖い》メディアが叩いてる映像

《謝罪要求⇒裁きを受ける》信用失う怖さ、命の危機


不安脳状態にやられてると、マトモな判断できない


脅しが当たり前な思考にやられてるから


常に回避、逃げる姿勢、言い訳、作戦ばかりたてる



大人たちは強迫観念に浸けられてる時間が長くて


浸かってる自覚さえ持ってない


子どもはその大人の影響を間接的に受けて育って


やがて自分もその一員になっていく



この地球が最初からイージーモードなら


天国天国。極楽極楽!で終始すむのかな?


魂はきっとそんな世界は体験したいと思わなかった


わざわざ、大変そうな課題を用意して最低ひとつは


クリアすることになってるそうだよ


すべてはここでしか味わえない体験があるんだ



間違いを許さない!としても間違いがなくならない


それはその体験をした先の世界までも見据えて


体験することを《選んでる》から


自分が体験することから納得することをやりたいの



意固地な思考クセを持ってると、年齢上下やら


社会的ステータスやらで判断したりするけど


本質的なものは同じ。



未熟だろーが、足りなかろーが、至らなかろーが


そこを判断材料に人間を査定してしまうことは


自分自身を窮地に追い込ませる思考だよね


何歳なんだから解って当然!とか

もうこの年齢なんだから知ってて当然!とか

自分より歳上(年下)なんだから!とか


余計な計算をしない子どものほうにこそ、


純粋な人を見るエネルギーでジャッジしないもの


理屈をくっつけてあれこれと画策、制止するのは


大人のほうなんだ



怯えた動物が威嚇するように、


大きく見せようと画策する人はおそれが強いんだ


そして親の不安が強いときはこのおそれによって


強く見せようと権威的、高圧的、脅迫めいた態度で


自分の身を守ろうと保守的な傾向強めてるだけ



人間。誰でも目の前に剣が向けられたなら


冷静な自分を保つなんて難しいでしょう


不安脳状態は常に危険回避するのに必死なんだ


親の更にまた、その親世代もきっと恐怖感が強い


時代(戦争)を生きてきたんだ



親が怖い、イメージがあるのは不安感が刺激される


過去の記憶が揺れるから


私たちは記憶を遺伝子レベルで体に共有してる


三世代前の記憶も共振しているらしい


自分の体験だけでは計り知れない未知の領域も


想念でつながり合っているんだ



世間を騒がすニュースはいつも不安をあおるでしょ


親や大人は映像情報に影響され続けておかしな


幻想描きやすいんだ


だから安心する為に備えることばかり誘導されては


保険やら備蓄やら勧誘されるがまま流されやすい


食べ物の毒のあるなし、もそう。


注射やらモラルやらもそう。



不安になるニュースに左右することが毒だ


そして親とて人間。間違いだってあるもの



親が正しい!と盲信してるテレビが正しいのか


親を崇め過ぎず、自分が判断する目を養うこと


不安だらけの思考がおかしな世界観を映すから