先日、DPアカのツイッターを見ていたら、

ハロヲタ、そしてスマヲタで有名なライターさん★の記事が流れてきました。

(★私は「小娘さん」として認識していましたが、

ライターさんとしては「乗田綾子さん」と名乗ってらっしゃいます。)

 

2002年9月23日、横浜アリーナで行われた

モーニング娘。のコンサートツアー2002夏 LOVE IS ALIVE!最終公演での

「タンポポ畑」についての記事を紹介しているもので、

FF外ながら引用RTさせていただいて、「懐かしい」ってつぶやいたのですが、

そのツイート主さんがとても良い方で、思い出話に付き合っていただきました。

 

もうすぐ平成も終わるし、自分のブログでも思い出を語ってみようかと思います。

私はどっぷり昭和生まれなので、2002年…平成14年なんて最近の出来事だと思ってしまいますけど、

当時中学3年生だった辻加護ちゃんが三十路に突入して子育てしているのですから、

本当は長い月日が流れていますよね。

 

時代背景とか調べる余裕はないので、全部自分の記憶で書いてしまいますが、

乗田さんの記事にあるように2002年はまだ

「繋がんない夜10時のネット」(モーニング娘。「いきまっしょい」より)だったのかなぁ?

モーニング娘。がメジャーデビューした1998年頃はまだダイヤルアップ接続で

ネットしていたので、夜10時から0時ぐらいまでは繋がりにくくて、

メールを送るのも、わざわざ朝イチにしていたような覚えがあるけれど、

とにかく、いつでもどこでも気軽にインターネット、という時代ではなかったのは確かです。

 

インスタもツイッターもなく、mixiもブログのサービスもまだなくて、

知識のある方が自分でファンサイトを作って運営していたのかな。

ファンサイトの中の掲示板が、ファン同士が交流する場として一般的でした。

あとは、モーヲタ・ハロヲタが集まる2chの掲示板「狼」の書き込みを

誰かが転載してくれて、情報を得る、という感じだったと思います。

(言い訳にはなりますが、当時から「狼」にお世話になっているところはあったので、

割とハロヲタは抵抗なく2chを見たりしていると思います。

最近でも2ch?5ch?のまとめサイトがハロヲタの大事な情報源になっているようにも思うし、

私も見たことがあります。

U.S.A.のハロヲタコールができるまで、も「狼」に見に行きました。)

 

2002年夏、世紀の愚策と言われる、いわゆる「ハロマゲドン」が発表され、

モーニング娘。からエースでセンターの後藤真希ちゃんが卒業し、

派生ユニットのタンポポ・プッチモニ・ミニモニ。もメンバーチェンジすることになりました。

あの時の衝撃は忘れられないし、気持ちが離れてしまった同志もたくさんいたと思います。

当時全員小学生のハロー!プロジェクト・キッズが加入したのも同じ時期で、

その後、Berryz工房にも℃-uteにもハマるにも関わらず、

「キッズうざい」とかいう書き込みに頷いたりもしていました。

でも、あれから17年…いろいろなことがあり過ぎて、

とにかくハロプロの新旧メンバーがみんな元気で、幸せでいてくれさえすればいい、

という心境になっています。

みんな元気で幸せ…去年から今年にかけて、それすら難しいと思ってしまう出来事があって、

とても残念です。

 

いつものように盛大に話が逸れましたが…「タンポポ畑」の話です。

「ハロマゲドン」でメンバーチェンジ、というか、ヲタの心情的には「解体」されることになったタンポポ。

結成当初からのメンバー、飯田かおりんも矢口も、

そして石黒あやっぺ卒業後に加入した、加護ちゃんも娘。を卒業しないにも関わらず、

石川梨華ちゃんを除いてメンバーチェンジという…

それぞれが大好きだったユニットを取り上げられた、という風に私は思いました。

 

当時はまだモーニング娘。のライブは自由度があまりなくて、

MCは台本通りのことが多く、これを言ったら怒られるかもしれないけど、

激しい曲とか口パクもあったように記憶しています。(あくまでも私の主観です。)

だから、「タンポポ」解体への気持ちをメンバーが正直に話すこともなくて、

ファンとしてはずっとモヤモヤしていました。

 

紹介した乗田さんの記事にあるように、ライブ最終公演の1週間前、

2chに「タンポポのとき一面黄色にしてえなあ」という書き込みがあったそうです。

私が見たのは、2chからの転載で、どこの掲示板だったのか、

ものすごい情報量だったファンサイト「娘。楽宴」さんかな?

(今、調べたら娘。楽宴さん、2017年に閉鎖されたそう…お世話になりました!!)

 

今みたいにツイッターで瞬時に拡散されるようなことがまだなかった時代、

ファン同士の繋がりも今ほどなかったように思うし、

メンバーカラーのサイリウムも公式のものはまだなくて、

ファンがそれぞれ100均とかでメンバーカラーに近い色を買って持って行っていました。

(公式でも売っていたけど、ロゴが入っている訳でもないのに高かったし…)

今では、メンバーの卒業や誕生日に近いライブでは、

メンバーカラーのサイリウムを灯すのが一般的だけれど、

そういうこともまだ行われていませんでした。

ハロプロでは、グループのメンバー全員のメンバーカラーが入ったサイリウム(ペンライト)が

公式グッズとして売られていて、ライブの最中にすぐに色を変えることができます。

自分の推しメンのカラーを灯し続ける頑固な人もいれば、

自己紹介MCなど、話をするメンバーごとに色を変えたり、自由に楽しめます。

 

でも、2002年当時はそんな便利なものはなかったので、

単色のサイリウムを買って持っていくしかなく…

どれだけの人がタンポポ色を灯すかどうか全くわからない中で、

黄色のサイリウムを買って、横浜アリーナに行きました。

当時一緒にライブに行っていたのはリアル男友達(ISSA氏並みにモテていた)で、

私ほどディープなヲタではなかったので、彼は黄色を用意してはいませんでした。

 

私が見たのは、最終公演前日。

タンポポのコーナーが始まって、おそるおそる黄色のサイリウムを点灯してみると、

全体の1割ぐらいかな?黄色だったように記憶しています。

少なかったけど、あ、みんなあの書き込み知ってるんだ!って嬉しくなりました。

 

そして、次の日の最終公演はチケットを取っていなかったので、

(チケット申し込みの時点でごっちんの卒業は発表されていなかったので、

申し込みすらしていませんでした)

家でドキドキソワソワしながらレポを待っていました。

今みたいにライブ中にレポするような人も皆無で、

(いや、2chにはいたかもしれないけど、

ライブ中はケータイの電源を切りましょう、っていう指示にみんな従っていた時代だった気が。)

終演後に、かなりの数の黄色のサイリウムが灯ったこと、

かおりんが泣きながら「タンポポがいっぱいだよ~」って言ってくれたことを知りました。

運営の決定を覆すことはできないけど、

ファンの力で素敵な思い出を作ることができるなんて…本当に嬉しかったなぁ。

 

上にさんざん書きましたが、ケータイで手軽にネットをすることも、簡単に拡散することも、

ペンライトの色を瞬時に変えることができない時代です。

MCでアドリブなんてほとんどなかった頃です。

本当に、奇跡だと思いました。

 

YouTubeに動画が上がっていますが、公式ではないので貼らないでおこうかな。

「たんぽぽがいっぱいだよ」って検索したら出てきました。

今のサイリウム祭りに比べたら、全然まばらだし、

本当の黄色一色ではないのが、時代を物語っていると思います。

 

今、サイリウム祭りをしようとすると、瞬時にツイッターで拡散されて、

おそらくメンバー本人にも知られてしまうような時代です。

きっとある程度、知らないフリしててくれてるのかな、なんて思いますけど。

卒業ライブにサイリウムの色を揃えるのも、

翌年5月の保田圭ちゃんの卒業式が初めてだったはず…。

(ハロヲタが自分たちの都合のいいように覚えているだけじゃないと思います。)

 

タンポポ畑とU.S.A.の池袋リリイベはどちらも会場には行っていないけれど、

平成の思い出として語り継ぎたい奇跡です。