いつも読んでいただきまして、ありがとうございます。
いゃぁ
今朝ね(11日)➰
ボヤーンとしていたらねー
****・微睡みの中で
ひょっこり
覗いてる、可愛い顔の白蛇
つぶらな瞳
身体を見せてくれました
なんと! 虹色
レインボーカラーなのよー
そしてね。ニシキヘビかな?大きいの。
なのに
お顔は、めんこすぎ
してさ
後ろを振り向いたら
南無観世音菩薩の白衣
その、南無観世音菩薩の文字が
レインボーカラー
周りは、お花が散りばめられて~
なぜ?こんな夢何だろう⁉️
でも、嬉しく楽しく、有難い夢でしたね。
***
今日は 赤倉山霊場行きたい!って
友人をお連れして、岩木山関連巡礼
ナビに逆らい
山越え。不思議なことに
曇っていたのが
晴れてきて
田代高原
萱の茶屋
八甲田山
素晴らしい素晴らしい
(八甲田山撮り忘れた❗️)
羽を羽ばたかせながら、
飛んでいるような
素晴らしい眺め 眺望です。
先ずは
巌鬼山神社
鬼沢の鬼神社から弘前市十腰内猿沢の巌鬼山神社。ここは津軽三十三観音霊場の第五番札所で、明治6年(1873)に巌鬼山神社と改称されるまでは、本尊・十一面観音を奉り、巌鬼山西方寺観音院「十腰内観音堂」と呼ばれていた。旧村社で現在の祭神は大山祇神とされる。
ここで観音様も繋がりましたね。
社の中で 観音様も 拝ませていただきました。
外は
大木杉 鳥居を潜ってから、とても、涼しく。別世界に入ったようでした。
そしてね
次は
赤倉山霊場です
手前には、大石神社
慶長年間 (1596~1615) に津軽為信が十一面観音を勧請したことに始まると言われている。
別当は百沢寺 (ひゃくたくじ) で荒廃していたのを正徳5年 (1715) に村民によって再興され、
同年に京都の吉田家から明神号を与えられ大石大明神となった。
享保4年 (1719) 5代藩主津軽信寿が再建された。
別当は百沢寺 (ひゃくたくじ) で荒廃していたのを正徳5年 (1715) に村民によって再興され、
同年に京都の吉田家から明神号を与えられ大石大明神となった。
享保4年 (1719) 5代藩主津軽信寿が再建された。
現在のような神社になったのは、江戸時代中期のようです。
社殿の後ろに 大きい石が祭られていて、御神体ですね。
津軽藩の総鎮守、霊山岩木山と現世との結界として機能していたのかも知れませんね。
柴燈護摩の準備されています。
ろうそく祭りも 行われます。
境内には208体の観音様の石像
四国八十八ヵ所
四国別格二十ヶ所
西国三十三ヶ所
板東三十三ヶ所
秩父三十四ヶ所
合計 208体の観世音菩薩様
すごい⤴️⤴️です
そして、お祭りには
一年生に一度それぞれに 一本のろうそくに灯明。経文を唱える祭りです。
このような 祭りの前日に お参りできるとは、とても有難いです。
御祭神
津軽赤倉山大神
ご本尊
弘法大師
写真、撮っておりません。
取り忘れるほど、感激しておりました
しかしながら
今朝の微睡みの中で
虹色の白蛇
虹色の 観世音菩薩様の白衣
すべてが繋がりましたね。
改めて 感謝と共に
気持ちが引き締まりました。
ありがとうございます。
へんじゃまたね