3日間のレコーディングを終えました。
この為に、年が明ける前から既に週3回とかの濃い頻度でリハーサルを重ねて来たのである。
彼らの作る音楽が大好きで、人間性も大好きで、一緒にいて色々と勉強したいと思うからこそ出来ることである。インディの活動ではあれど、ギグの時もレコーディングの時も最低限の、というかちゃんとしたレートの報酬を出してくれると言うのも勿論ポイントです。
友達だから、とかプラスにならないプロジェクトだから、と言う理由でタダ働きになるプロジェクトも多い中、資金を調達する事をまず考えて、自分達の一緒にやりたいミュージシャン・ミックスエンジニアなどに正規の値段でお願いする事を前提とする。
勿論、あたしだって友達だから無償でやる、金銭的に厳しい人には割引をするという気が無いわけではないけれど、その辺りをちゃんと考える人は、自分の音楽をどう人に届けるかとか、そういうこともシビアに考えていると思うのだ。
自分の音楽を世に出そうと思い始めたからこそ更に深いレベルで理解出来る、彼らの覚悟や真剣さ。
それをもっと自分も追求したい。
今回のレコーディング、めちゃくちゃ大変で。
いや、先月のレコーディングも大変だったんだけれど、違う意味で大変で。
色んな意見が飛び交い、時間も限られている中で、アイディアや方向性がどんどん変わったり、再現性と即興性の両方を求められて、一度こうと決めると方向転換が難しいあたしの頭は割と簡単にオーバーヒートするような状況でした。
毎日起きてヨガをして、自分に集中して、朝ご飯を食べて、到着してコーヒーを飲んでついでにもう一度軽く何かしら食べて。笑
その日最初の1曲を録る。
何テイクも録る。
そうじゃない、もっとこうしてとか誰かが言い始める。
議論がアツくなって誰かしらが爆発しそうになる。
それでも録る。
もう良いのだかどうだかの判断が出来なくなる。
そうやって数時間が過ぎた頃には、必要なテイクは録れているので、あとは彼らがそれを切って貼ってするだけ。だから自分的に「最初から最後まで完璧なテイク」は録れなくても次の曲に進むのである。
そしてまた水分と糖分を補給する。笑
刻々と変わっていく要求に応える為に、割と観念的な事や象徴的な事を話している英語を理解する為に、そしてキャパが残っていないのでドイツ語を頭から排除する為に。笑 頭は物凄い勢いで動いていて、常に食べていないとやってられない。
そしてそれを3回繰り返した辺りで1日の時間切れとなるのである。
頭も身体もヘトヘトで外へ出て、その場に倒れ込みたくなる様な、電車の中で寝落ちしそうになる自分をどうにか頑張って家まで連れて帰り、ゆっくりとお風呂に入り、まだお腹が空いていたらご飯を食べ、頭を空っぽにする為にYouTubeでお笑いを見て、夜の10時くらいには就寝。
そんな日々を繰り返しました。
そんな1日目の夜。
まだ2時間しか寝ていないのにふと夜中に目が覚めて。
ここのところグルグルしていた頭がふと静まり返ったような。
グッと奥底に届いた様な。
その瞬間にぶわっと気付いた。
あたしが自分のやることや自分自身に自信を持つというのは、何というかもうダルマとして、自分の今世やるべきこととしてそこにあって、それは達成されるべき当然のもので、というかもうそんなん人生が花開いていくに当たって通る最初の一歩だから、そこでいつまでもウダウダしてるべきではなくて、「あんたは自信満々に生きるって最初から決まってんだから諦めなさい。」ってこと。
まだこれが出来ないから、とか、あの人よりも劣っているから、とか、まずはこれが出来るようになってから、とか、容姿だの能力だの経験だの、いつだって何かしらを言い訳にして来たけれど。
え、まだ足りないの???これだけ色々やってきて???
他に何が必要なの???言ってみ???
どんな言い訳をしても、あたしは"あたしとして"最高の存在にならなきゃいけなくて、あたし以外に"あたしの様に"叩けるかっこいいドラマーはいないわけで、あたしみたいに突拍子も無く馬鹿なことを考える人もいないわけで。あたしが心から面白いと思えるものは誰が提供してくれるでもなく、自分から取りに行って作りにいかなきゃいけないわけで。
他のドラマーが物足りないって思っているのは、本当に格好いいと思えるドラマーに自分自身がなれてないからじゃない?というか、自分の事を格好いいと認めてないからじゃない?技術がどうのとかは勿論死ぬまで追求出来る。だけれど、今の時点の格好良さを認めても良いんじゃない?
そして他に格好いいドラマーがいないというのは、自分自身がそういう存在になれってことなんじゃないの?自分が憧れる様なドラマーに、自分がなってみろよ。本当になりたい自分になってみろ。そうなる為にみんな死ぬ程努力してるんだよ。
知らんけど。
そんなことが一瞬で頭の中を駆け巡ると同時に、その日のレコーディングと、ここまでにかけた時間を思い出し、一緒に演奏してくれるミュージシャン達は、あたしにそういう自信を思い出させてくれる人なんだなと感じた。
その日はまだ初日の夜だったけれど。
その日だけでだって、自分の演奏にOKを出せたし、聴き直して格好良いと思えるテイクもあったし、尊敬するミュージシャンである彼らの要求は結構高かったし。それに応えることの出来る自分は、すごいじゃないか。
何よりも、なかなか言葉にして説明するのが難しいとは言えど、音楽に対してどうアプローチするのか、どういう音を使うのか、その音をどう再現するのか。それを自分はちゃんと知っているんじゃないのか?
そして、演奏技術だけでは無く、その1日をどう調整するか。自分自身を知り、どういう時に気分が上がるのか、下がるのか、集中力が上がるのか、下がるのか。どういう言い方をされると嫌なのか。どういうやり方だと自分の能力を発揮できるのか。それらを知って、自分が常にベストな状態でいられる様に、ベストな演奏を出来るようにコントロールする。それがプロとして仕事をする上で基本となることだし、それを自分はちゃんと知っているじゃないか。
そういう全てを感覚でやっているから自信がないだけで、分析して言葉に直すことが出来るだけで、自信というのは段違いに生まれて来るんじゃないだろうか。
そして、そういう風に仕事をする女性ドラマーがいるというのを世間の人に知ってもらうというのも、最早あたしの使命なのかなと、勝手に背負ったりもしてしまう。
ずっとずっと、誰かに認めて欲しくて、世間で言うような分かりやすい成功をしたいと思っていたけれど、その成功を受け止められる様な器がなかったら、それはやって来ようがないんだよ。こんだけ沢山自分の尊敬する人達と仕事をさせてもらっておいて、自信がないですなんていい加減にしろ。そんなこと言っているからいつまで経っても自分の目指している経済的な・技術的な・社会的な成功が叶わないんだよ。あたしがその器を自ら壊しているから。
自分の中では何の根拠もないかも知れない。
それでも信じて、いいんだよ。