安曇野に行ったのは本当に小さなきっかけだったのですが。
のんびり散歩した翌日2日目の流れはなんかすごくって。
手を替え品を替え、「自分の道は自分で切り拓いていくんだよ。自分を信じたらいいんだよ」と言われているような感じでした。
アメリカ人の知人が発信しているウェブマガジンに、Art of Lifeというタイトルで記事を書いているように、今の自分は、"人生をどう創っていくか"ということをよく考えていて、色んな人の話を聞くのがすごく好きなのですが。
それは海外生活20年から日本に戻って来て、未だ自分が本当に生きたい生活スタイルを作れていない、今の日々に納得いっていない、良く言えば今からの自分の人生にとても希望を持っている状態だからで。でも実態は周りが日本でミュージシャンとして確固たる地位を確立していたり、新しいビジネスを始めたりする中、自分の中途半端さに惨めな感覚を受けることもある。
自分がやっぱり他とは違う生き方をしているんだなーと思うからこそ、色々な生き方をする人に話を聞いて、どう創ってきたのか、どう決めてきたのか、参考にしたいと思ったりもしている。
インタビューを通して、そして周りのアーティスト友達と話すことで、自分の今後の人生の展望にかかる靄が少しずつ晴れていくといいなぁと思っていたりもします。
今回、安曇野で泊めていただいたお寺で朝からお勤めに参加する私の迷いを読経の最中に感じ取ったというお坊さんは、
仏を目指すという目的はみんな一緒です。でも、そこに到達する道はみんな違います。仏教も色んな宗派があります。だから、色々試して、自分に合った方法を見つけるといいですよ。
と言ってくださいました。
瞑想も絶対に先生と一緒にやること。一人でやると、独りよがりで、自分が神になったような感覚を得た自分の考えが絶対だと思い込んでしまうから、必ず客観的に見てくれる先生と一緒に学ぶように。
と教えてくださいました。
音楽をそういう精進の道として捉えているあたしのことなので、
色々試して、自分のスタイルを創っていけばいいのね。
そんな風に思いながら宿を後にして、向かった家具屋さんではものすごくアツい職人魂の先輩に出会い。偶然居合わせた、作品を持って彼の元を訪れていた、まだ駆け出しだというアーティストさんの作品を「これはいいですね、完成してる。」とすごく評価するところから、ご自分の哲学なども話してくださって。それは40年もの間、御自分でやって来た経験によるアーティスティックな感覚とビジネスマインドの両観点からの、すごく共感するお話でした。
本物を見る目を持った人が組織や社会の上にいないから、文化が廃れていくんだ。という話は、「誰かが良いと言ったから、ではなく、"自分の感性"を信じて音作りをしたい、そういう生き方をしたい。みんなが自分の感性を開いて生きるきっかけを作りたい」と常々考えている自分としては、やばい、面白い人に出会ってしまった、、、。と内心ニヤニヤしながら、止まらない彼の話を聞き。
まずは作ってみないと。未熟であろうとなんであろうと、実際に触れられる作品にしてみないと職人は頭の中だけで改良を続けることなんてできないんだから。そしてその改良には年単位の時間を要するんだ。作品が出来る。それを見た自分のレベルが上がる。改良する。また自分の見る目、求めるもののレベルが上がる。そして新しいステージが用意される。それの繰り返しだ。
何か大きな話が来る。ちょっとでも、ほんの可能性の話だとしても、最大限に期待を膨らませて、出来得る限りの準備をする。大概、その話はぽしゃってしまうんだけど、その後にまた全然別の方向からその準備が活かされるような大きな話が来るんだよ。
音楽を聴く時の自分の心地よさを家具に反映させているんだ。自分がどういうものを作りたいとか、自分がどういう存在かを誇示するような表現ではないんだよ。スタイルや表現は滲み出てくるもの。無理して、頑張って作るのでも、考えるのでも、押し付けるのでもないんだよ。
最終的には高校生の時からの趣味だという素敵なオーディオからレコードを流してくれながら、音楽にも通じる彼の哲学をふんだんにシェアしてくださって。
若い職人が意見や情報の交換が出来る場所を作りたいんだと、そのサポートをしたいんだと仰る姿は本当に素敵でした。
有名な建築家の建てる家に合う家具を作る、というような大きな仕事もされるような方でも、「別に余裕があるわけじゃないよ、始めた頃は子供が生まれて大変だったし、長いこと評価もされなかったし、ちょっと風向きが変わったと思っても変わり者扱いされて仲間にはいれてもらえないし。いつも崖っぷちだよ。ちょっと踏み外したら崖から落ちるような、一寸先は闇みたいな状況だよ。」そんな風に仰って。
それでもその道を進んでいくモチベーションはどこから来るんだろうと圧倒されながら、外からはとても成功していらっしゃるように見えるけれど、やっぱりそれぞれに挑戦があって、苦しい時期や戦い続けているような感覚もあったりして、決して誰も"楽"に生きているわけではないんだろうな、と思ったりもして。その努力に頭が下がる思いと、自分はまだまだ本気になれる部分が有り余ってるなー、甘えてるなーと感じていました。
そんな私の心中を知る由もなく、「こんなに喋って大丈夫?」とこちらに聞きながら「話を聞くのが上手いですねぇ。インタビューされてるみたいだ。」なんて正体を見抜きながら、話し続けること3時間近く。笑
帰りには木端で作ったというペン皿とコースターまでお土産にくださり、「また遊びに来てください」と、見送ってくださいました。
その後歩いて向かったちひろ美術館。
もう時間もそんなになかったから、ちょっと覗くだけで帰ろうと思っていたのに。
もともと大好きな画家ではありますが、優しくてカラフルで素敵な作品達を見た後、彼女の生涯を紹介する展示で、図らずも涙まで出て来たのはきっと、彼女の人生が思った以上に苦労と試行錯誤の連続だったからかな、と思います。
きっと、当時としては色々な意味で恵まれた環境にいた人であったとは思うけれど。学生時代に戦争を経験し。最初の結婚相手とは死別し。再婚相手との間に子供が産まれた時は、彼女が家計を支えなければいけなかった為に子供を親元に預けたり。絵で生計を立てるようになるまでも、色々と道を試し、挿絵などの仕事で食べていけるようになって、更にそこから時を経て、自分で絵本を作るようになって。そうやって時間をかけて、色んな経験をして、漸く今私たちが知るいわさきちひろという人の作品が生まれたということを目の当たりにしたからか。
若くに開花する才能を見続けて来たから、それこそが求められる、あるべき成功の姿みたいに感じて行き詰まったりもするけれど。やっぱり自分は今までがあるからこそのここからが本番な人なんだろうというか。人生をかけて何かを追い求めるというより、その人生こそが自分の作品だから、今の時点での何を評価することもナンセンスだし、生きていることそのものを楽しんで、客観的に面白がって生きたいんだよな、と改めて感じ入った感覚だったのか。
何かが心の深いところで共鳴して、心を揺さぶって。
あー、今回ここに来たのは本当に素敵なご縁だったなー。
自分にとってすごく必要な時間だったなーと改めて思いました。
世界がどうなっても。
もはや自分は"創る"ということなしには人生を進んでいけないし。
そうやって生きることはきっと理解されなかったり、誰にも分からない道を手探りで進むことなのかも知れないけど。
もうそれしか道はないし。
最初から、どの道だって、本当の意味で保証された道ではなかったんだろう。
どの道だって、自分にとっては初めての道で。
前人未到の地を少しずつ、一歩ずつ、前に進んで行くしかない。
前が真っ暗でも、すぐ横は崖っぷちでも、怖くっても、そろそろと、でも確実に進むしかない。
自分がいる、その足元は照らされてる。今、この瞬間だけは確実なんだから、そこに光を当てて、今あるものを感謝して受け入れよう。
そうやって、大事にゆっくり進んだ最後に振り返ったら、そこには自分の道が出来てるんだ。
その道筋が、その人生の成功の証だろう。
それがただただ、足跡の連続であっても。