ハッピーちゃんのライヴに参加しました。
あたしの中のハッピーちゃんは、自分の世界の作り方を本当にちゃんと理解していて、ものすごく的を射て、自分の経験からくるその理論を分かりやすく丁寧に説明するのが超絶上手な人。
そして、最近の動向を追うほど、「あたしがやりたいこと先に全部超絶でかい規模でやってるやん!!!」てなる人。
なんか知らないうちに歌やダンスを始めてて、超ど素人から今やZeppのツアーをして、アリーナを満席にする人。
なんじゃそりゃ。www
歌やダンスを通してエネルギーの回し方を伝えていて、パフォーマンスというより、会場中が一体になってみんなで作り上げることを意図している人。
それこそ自分も、パフォーマンスを瞑想で始めたり、一緒に歌うことでエネルギーを昇華させたり、五感を活性化させるようなショウを作りたいと思っているから、彼女の意図を聞く度に、「あらまぁ。先越されちゃってるやん。」て思ってた。
ただ、あたし、彼女の曲は全くもって好きじゃない。笑
そしてオンラインで見守る限り、最初から比べたら上手くなったのかも知れないけれど。
ごめん。あたしにはちょっと厳しいくらい歌が下手。爆笑
でも、彼女が目指しているのは巧さとかではないのは理解しているし、実際彼女が動かすエネルギーってものすごいから、それは本当に認めるし、彼女の作り出す世界は愛に溢れていて、本当に素敵だなぁと思っている。そういう意味でとっても大好きなのである。
だからそれを体験してみたらどうなるのかと思って参加してみた。
結果。
あたしはやっぱりゴリゴリにミュージシャンとしてのエゴを持ってるわーーー。笑
入り込めないならもうしょうがない、と今日は超客観的になることを自分に許し、自分のいつものやり方でとりあえずメチャクチャ堪能させてもらった。自分の中の抵抗とか、入り込めない感じとかも味わいつつ。でもなんかそれもいっか、て思えるような、何と言うか多分自分は本当に自分なりに楽しんだんだと思う。ごめん、ちょっと一体にはなれないってめっちゃ線を引きつつ。
そうして浮かび上がってきたのは、「なめんなよ!!!」ていう気持ちだった。
あたしはプロとして20年、音楽の世界で人前で演奏させてもらっている。
その間に技術、表現、自信、色んなことで悩んでその度に自分なりに誠実に正直に自分に向かい合って、寄り添って方を付けてきた。友達や周りのミュージシャンが同じように色んなことを考えてそれぞれに自分なりに答えを見つけてきてるのも知っている。
今日のステージを見て、すんごく素敵な衣装とか花火とかライティングの圧倒的な演出と、完全に入り込んで熱狂している観客を見て、その産み出されるエネルギーをものすごいなーーー!!!と感動すると共に、そこで演奏される音楽のレベルの低さにガッカリする。
そう。つまるところあたしはどうやったってミュージシャンなのだ。
分かってる。この3日間が意味するものはそこではないということくらい。
この場は、ハッピーちゃんが場を作ったからこそ、ステージに立つという経験をすることが出来た人達の為であり、そこに希望を見出す周りの人達の為である。それを応援し、祝福する場であれこそすれ、ジャッジとかする場じゃないのだ。
でも、だからこそ、プロのアーティストがどれだけ努力しているのか、どれだけのエネルギーとお金と時間がそこに費やされているのか、をあたしは思い知らされる。
彼らの技術と才能がどれだけ抜きん出ているのか。
あたしが心を動かされる音楽を書く人達がどんだけそこに想いを込めているか。
その磨き上げられた技術で表現される音楽はやっぱりダイレクトに心に響く。
自分がバンドに参加するアーティスト達の普段の努力を知っているからこそ。
その人達みんなの音楽がもっともっと色んな人に聴いてもらえるといいなと思った。
それと同時に、自分がなめてたな、もっともっと出来るな、というのも思い知らされた。
技術的にも音楽的にも、もっと上がある。
いつも演奏後に言われる「良かったよ!」ていう声を、自分の出来不出来ばかり気にするあたしは本当には受け入れられていなかったんじゃないか、とか。
最早見に来てくれる人達は本当にそんな音楽的な完璧さより、エネルギーが回っているかどうかが肝なだけではないか、とか。
音楽が本当に好きなんだよー。音楽ってすごいよね!て言う人が意味することを、あたしは理解していなかったんじゃないか、とか。
素晴らしい音楽は、やっぱり本当にそれだけでダイレクトに響く。
そのためには音質の良さ。歌詞の良さ。メロディ、アレンジ、演奏者の表現力、サウンドシステム、サウンドエンジニア。
本当に色んな要素が交じり合っていて。
だからこそ素晴らしいパフォーマンスを作り上げるのは簡単ではないし、でもそれがカチッと全部合った演奏を見た時に天国に連れていかれる感じは本当に何にも代え難い。そこで生まれるエネルギーはやっぱりどんな人の心も動かすとあたしは思う。
音楽が持っている力をあたしはまだまだナメてたんだ。
もっと真剣に、もっといいものを作りあげるために、やることが沢山ある。
自分の作品を。自分の演奏を。更に更に上のレベルへ上げていきたい。
そして今日見ててすごく痛感したのは、やっぱりあたしはものすごく恵まれているんだということ。
20年、海外でミュージシャンとして仕事をさせてもらって、バックバンドのメンバーとしてではあるけれど、小さくてとっても親密なハコから、何万人を前にした大きなステージまで経験してきた。自分にとっては仕事という当たり前になっている、歓声を浴びる立場、ステージに立つ側にいくことが、他の人にとっては本当に夢にまで見たことだったりする。そんな場所で自分の思うように演奏をさせてもらうことが、本当はどれだけ特別なことか。
今となっては自分のプロジェクトを始めて、小さな規模ではあるけれど、自分のやりたいように拘ってその場を作り上げていることも、他の人にとってはやっぱり"すごい"ことなんだろう。
自分にとっては毎回挑戦だし、悩みもあるけれど、やっぱり自分のプロジェクトでステージを作ることって本当に今すごく楽しくて、幸せなことだと思ってはいる。でも、それを出来る自分の環境とか、一緒にやってくれる人がいること、今までの経験や、持っている才能を、自分はやっぱり過小評価してたというか。もう、本当に、自信がないとか言うてる場合ちゃうやん。自分が貰ってるのはやっぱりどう考えたってギフトやん。
以前、尊敬するコーチの方に「本当にいい加減にしなさい」的なトーンで、「バークリー出たのも、ドラムでプロとしてやってることも、本当に特別ですごいことだよ???」と言われて、あたしはそれでも「いやいやいや、バークリーにこの位の才能なんて腐るほどいるし」とか思ってたんですけれど。それって本当にもうそろそろ、神様だか他の人にだか、分からないけど、失礼なことだな、と思ったのだ。いい加減、肚括ってちゃんと自分の貰ったものを受け入れてちゃんとそれを使って世の中に出ていけよ、みたいな。
ハッピーちゃんがパフォーマンスを通して伝えたいこと、目指していることって、同じような場を作ることを目標にしているあたしにとっては、今まで散々自分が音楽を通して自分に問いかけて、鍛えて、ある程度はできるようになっていることなんだと思う。あたしが行かなきゃいけないのは、更にもう一つ上。彼女がいる場所に、自分が立つこと。あの存在感と自信と愛を自分から発すること。何度も何度も出てくる、「あたしは楽しませてもらう立場から、生み出す側に行きたい」という想い。
というのが分かったところで、明日はあの観客のエネルギーと一緒になって思いっきり中に入り込んでみようかと思います。