家系図のことで聴きたいことがある、
ということで、父に電話をしました。
そのときの話をしようと思うのですが、
その前に。
わが渡邊家の、ちょっと特殊な点も含めて、先にざっとわがやの家系の特徴を挙げておこうと思います。
【渡邊家の家系の特徴】
①父は15人きょうだい
祖父母はどちらも再婚同士。どちらもパートナーと死別して、祖父は7児の父、祖母が5児の母として再婚。再婚後に3人生まれたので、全部で15人きょうだいで、父は末っ子。
ただし、生まれてすぐに亡くなった方や、戦争で別れ別れになった方もいるので、父はきょうだい全員に会ったことはない。
②祖父は祖母の家に婿養子に入った
祖父の旧姓は「伊藤」で、祖母と再婚して婿養子に入り、祖母の性である「渡邊」に改姓している。
このときの事情は不明。
ちなみに、祖母が渡邊なのは、初婚の相手が渡邊だったからで、祖母の旧姓は「布施」。
つまり、祖父母共に、生まれたときは渡邊ではない。
ここで大事なのは、本来家系図は、自分の両親、その両親・・・と2の倍数で増えていくのがオーソドックスなんですけども、わがやの場合、「渡邊」になった経緯として祖母の初婚相手を含めないと流れが分からないため、
父からもらった家系図は、祖父母の代に、祖母の初婚相手の家も含まれています。
③祖父母ともにルーツは「渡邊」
祖母は、初婚の相手(以下「元夫」)と、いとこ同士。
そして、祖父母も、いとこ同士。
つまり、祖父母と祖母の元夫は全員いとこ同士。
祖母の元夫が「渡邊」で、その父親も「渡邊」。
その渡邊さん(元夫の父)と祖母の母、祖父の母がきょうだいなので、祖母の母・祖父の母はいずれも旧姓「渡邊」。
ということは、祖父母と祖母の元夫は全員もとをたどれば一つの「渡邊」家につながっている。
家系って不思議だなあと思いますよね。
この時点で手元にある家系図は、祖父母の親の代(曾祖父母)まで。
それをもう一代遡ることができたら、全員が源流となる「渡邊」に収束するはずなんです。
そこまでを頭に入れて、父に電話をしました。
父によると・・・
まず、祖父母ともに、昔のことをほとんど話さなかったらしく、父も知らないことが多いんだそうです。
過去のことを話さないのには理由があるのかと尋ねたところ、父は
「戦争も経験してるし、いろいろ大変なこととか悲しいこともあったんだろうなあ。思い出したくないこともあるのかもしれないね」
と言っていました。
そんな中でも、父の知り得た範囲の渡邊家の過去について教えてもらいました。
◆祖母について
祖母の出身は、山形県米沢市とのこと。
※のちに違っていたことが判明しますが、父はこのように祖母から聞いたそうです
祖母の実家は下駄屋さんだったそうです。
◆祖母の初婚相手について
祖母の初婚の相手については、実は出身地がよく分からないそうです。
ただ、祖母といとこだったことから、おそらく山形県だったんじゃないかと父は考えていました。
※のちに出身地が判明します
この初婚相手は百姓をしています。
徴兵経験はなさそうということでした。
この「元夫」は、祖母と結婚後、父親や妹らとともに北海道に開拓に行くことになります。
このときに移り住んだのが、
現在の「北海道 留萌(るもい)郡 小平(おびら)町 滝下(たきした)」というところのようです。
留萌というところは、北海道の地図でいうと札幌と稚内の中間くらいのところで、札幌から北に向かって、車で3時間くらいです。
ここで5人の子どもが生まれます(一人は死産)。
ただ、北海道の開拓作業は非常に重労働で、住まいも掘っ立て小屋のようなところだったことから、元夫は体調を崩してしまい、享年39歳で亡くなっています。
同じ年に、同居していた義理の父も亡くなり、祖母と4人の子ども、元夫の妹だけが残されたそうです。
ちなみに、祖母には一人だけ弟がいました。
弟さんは、祖母が北海道に行ったあと、いつでも会いに行けるようにと北海道に就職先を探します。
そして、夕張(ゆうばり)で警察になり、家族をつくります。
その後、就職した息子さんと同居するために東京に行き、亡くなったときは息子一家とともに横浜に住んでいたそうです。
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