今日はニタ女史のことを

 

1分半ビデオです 

 

ニタ女史のスカーフの世界

1分半ビデオご覧ください

↓↓↓

 

 

今日準備しながら作ってみました

 

 

  ニタ女史の歴史

 

私はジャワで長く

彼女を見てきているのですが

ファッションの学校に通う!

と言い出したのは

20代後半~30歳頃だったと思います

 

デザイン学生時代も、

そして仕事に

関わるようになってから

すぐに賞を取ったりと

才能を発揮していきました

 

そうしているうちに

オートクチュールデザイナーとして

名前が知られていくまでになります。

そして ミスインドネシアのドレスも

まかされるほどになっていったのです。

 

通常は、首都ジャカルタの

デザイナーが注目されるものですが

ジョグジャカルタから出た彼女は

伝統のエッセンスを含んだ色合いで

モダンに作り上げ、際立っていました

その彼女が一気に力を落として

人生が変わったのは

ご主人が急死したときです

ご主人はマネージャー兼プロジューサーとして

彼女を引っ張っていたからです

 

もうなにもやりたくない

 

そのとき、

こんなにファッションが好きで

才能があるのだから

もう一度立ち上がってもらいたいと

考えていた私のところに

 

「日本でファッションショーをやりたいが

インドネシアからベテランの誰か推薦して」

 

という話がきました。

そして彼女が来日することになります

 

亡くなってまだ日が浅いので

新高輪プリンスの部屋では

ご主人のことを話しては

いつも泣いてしまうほどでした

 

ご主人のTシャツを持参していて

枕元に広げて眠っていました

私も毎日とても心が痛かったです

 

数年前までは

デパートにギャラリーも開いて

一般販売もしていましたが、

現在の彼女は

お得意様たちの注文だけを

受けるスタイルに変えました

あとは高級ホテルの受注です

 

それは絵を描いたり

もっと自分の心を

満足させて暮らしていきたい

と思ったとのこと。

 

私のリクエストには

いつも答えてくれますが

気分の乗ったときだけ

デザインをする今のスタイルです

ヒラメクと夜も寝ないでデザインに没頭します

 

彼女の根強いファンたちは

その創造スタイルを気長に待ちます

 

仕上がった作品を見たときはみんな

待った甲斐があった

と満足できるからです

彼女がいつも言う言葉があります

これはスカーフの箱にも

書かれています

 

美しさとは 感性から生まれます
作品で明らかにされるのは

内面の修養と心の美的な経験度です

 

この間はトルコに行き

内面の修養を積んで

美的経験を広げる彼女

次回の作品もまた

楽しみにしたいと考えています

 

そんな彼女ですが

実は日常では古風な女性なのです

情が厚くてあたたかくて涙もろい

 

 

  衣装の仕事も

 

 

彼女とは何度か仕事を一緒にしてきています

シンガポールでも一緒に舞台仕事したり

 

このときも

ニタ女史は衣装担当

私は音楽担当でした

↓↓

このとき90名もの各国ダンサーに対応しないとで

ジャワからお針子さん連れて

ホテルの部屋では毎日衣装サイズを

何時間かで体に合わせて直しを仕上げ、

夜までリハに付き合っていた彼女です

とても信頼できる仕事人です

 

ニタのスカーフは

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