象の夢を見たことはない -58ページ目

フジファブリック

この時期になると思い出す。



ええなあ、冬の学生。

暗さが良い。

夜空の果てまで向かおう。

宇宙のもくずになりたいよね。

情熱の墓場とかそういうの。

でろり、でれり、でろでろ。

岸田劉生といえば麗子肖像なのだろう。
自分はこの画家をよく知らなくて、

肖像

が、

こうなる

こうなるともういただけないのだけれど、なぜだか「道」には引き込まれていて、自分の悪夢のパターンに得体のしれないドヤ街とか貧民街に迷い込むバージョンがあって、その入り口に似ている。

道

坂というのは、日本人にとっては、あの世とこの世を結ぶ入り口らしく、自分にとってのこの黄泉比良坂は、横浜の吉野町に住んでいたときのアパートの裏側にあったのだが、今グーグルアースでみたらもう舗装されていて、その影は見当たらなかった。(追悼 水木しげる)

公務員

今日、某納豆会社に社会見学。

大豆は北米産、国産だが、国産は6%。
国産丸大豆使用というのは本当にその割合で売られているのだろうか?
俺は国産しか買ってない。そしてそういう人って割りと多いと思っているのだが。
ISO批准で認可を受けている会社。

大豆は、『自家受粉の植物なので周辺の通常品種との交雑はないのでは?といわれていますが、交雑はまったくゼロではないことが実証されています』とのことで。遺伝子組み換えでない。ということに対する抜き取り検査をしているとのことだったのだけど、自分がした質問に対しては、自信を持った回答という態度ではなかったな。

遺伝子組み換えに対する拒否反応と、有機栽培に対する信仰は、心の問題であって科学的に数値として保障されてはいない。

こないだの震災で、放射能被害の科学的な、あるいは科学的であろうとする数値は、政治によって容易にねじまげられることを知った。政治というのは、それらを科学でなくココロの問題として扱えば事足りるから都合がいい。

モンサント社に対する是非はさておき、遺伝子組み換え作物が生まれた時点で、交雑の可能性は0%ではなくなる。

信仰は金になるから有機農業が存在するのだが、生産する側がそれをわかっていることが偽善かどうかという判断って、「いや、わかっててやってる」ことだと開き直る人々は、自分にとってはやはり人間的に気味が悪いし、自信がなくて、もしくは開き直れない大人の事情とやらで口を濁す人々も同じく気味が悪い。もっとも、工業製品にも偽善はあふれているのだけれど、なぜだかそれらはそれほど不快だとは思わない。なぜなんだろう?

人間性≒社会性。あるいは社会性=道徳というものの気味の悪さは弱肉強食という動物世界の単純な物差しを複雑化する。

ただ、社会性はもちろん動物にもあって、社会性は、集団が個人を駆逐するという意味での、弱肉強食の価値観の応用問題ではある。

弱肉強食、自分が思ってたほどクリアでも単純でもないらしい。

Drive a person insane

9月の頭になぜだか勢いで『DIVA』と『ベティ・ブルー インテグラル』を買い、そのまま放りっぱなし。

先日から、インドにいたとき送り迎えしてくれてたタクシーの運転手の名前と、名古屋で英語を習ってたモロッコ人の先生の名前が思い出せない。

そんな感じでいろいろバラバラな精神状態。
これからどうするのか。

ふらふらとライアン・ゴズリングの名前と『ドライブ』の監督の名前にひかれて『オンリー・ゴッド』を。途中で寝て返却したヤツだったことに見始めて気づく。うーん、結局よくわからなかった。

なにかに引き摺られて、今『インド夜想曲』を見ている。
そうか、ジャン=ユーグ・アングラードが、ライアン・ゴズリングと被るのだ。
そういえば、ライアン・ゴズリングって『ラースとその彼女』か。全然わからなかった。
この2人。映画の役柄もそうなのだが、どこかが不安定なのである。

インドのタクシーの運転手はラジさん。
モロッコ人の先生の名前はサーディア。どこかベティ・ブルーに似ていないこともない。オーストラリアに移住したらしい。

思い切りという名の衝動。



金をここに突っ込んだらあと戻りはできないのだが。
そこに衝動があるかどうか。欲しいのはインセイン。もしくは激情。
激情では粘り強い仕事はできないのだが、
衝動がないと会社辞めてまで生きている意味がないのよね。地味に。
地道な衝動があるかどうか。村上春樹が小説を書く理由みたいななにか。

衝動買い

ぶるがりぶらっく

ぶるがり

たしかに消しゴムみたいなにおいだ笑
冬に衝動で買ったのは、やはり冬用なのだろう。

ブルーオードパルファムなくなったのがやはり残念。